女中の襟に手を入れて(長編予定)

 そして、誕生日の当日。
 「うー、朝………………!?」
 マルカが目を覚ますと、ベッドの横には執事服を着た青年が立ったままで待機していた。それも、二人。
 一人は、見違えるほど印象を変えたハルだと言う事はどうにかわかった。もじゃもじゃだった頭を整えて清潔さを出すと、これ以上なく執事の姿が似合う美男子である。
 が、もう一人の方がさっぱり誰だかわからない。ハルに比べると背は低く、体格も細めである。片眼鏡の奥に涼しい目をした、氷のような美青年だった。
 肌の白さと綺麗さに長い髪を結って肩から垂らしているのも相まって、中性的な美しさがある。
 「…………ご主人様? その格好は……って言うか……誰ですか、そちらの人?」
 にこやかに微笑み、ハルがいつもより柔らかい口調で答える。
 「お誕生日おめでとうございますマルカお嬢様。今日は一日、我ら執事が誠心誠意お嬢様の手足となってお仕え致します。こちらは……」
 促されて、もう一人の方が口を開く。
 声色を低く変えてはいるが、その声は明らかに男性のものではなかった。
 「満月……いえ、今は三日月とでも申しましょうか。ご機嫌麗しゅうございます、お嬢様」
 「ま、満月さん!?」
 マルカの声が上擦る。
 驚くのも無理はない。マルカにとって満月は、女性の魅力をこれでもかと凝縮したような自分の理想像のような存在である。
 それが起きたら見た目麗しい男性になっていたら、世界がひっくり返ったかのような衝撃だった。
 何より胸が無い。
 「僕にできることなら何でも仰って下さいね、我が君」
 と言って手を取り、甲に優しく口付けをする三日月。
 「ひゃっ!」
 恥ずかしさと違和感に慌てて手を引っ込めてしまうマルカ。
 そのまま、ベッドから飛び起きてハルの後ろに隠れてしまった。
 「……お気に召しませんでしたか、お嬢様」
 やや残念そうに言う三日月に、マルカは。
 「い、いえそんなことはないんですけど……あはは……」
 恐怖と焦りが多少含まれた苦笑いでその場をどうにか乗り切った。

 「こちらが本日のお召し物になります、お嬢様」
 「ありがとうござ……ありがとう、ハルくん」
 敬語を外すのはどうしても慣れないが、今の立場はお嬢様と執事(たち)。
 丁寧口調ながらやんわりと強制されたので、マルカはそれに従うことにした。
 「では失礼致します。お着替えの方は三日月が担当しますので」
 「え、あ、はい。じゃなかった、うん」
 お着替えを担当ってどういう事だろう。そうマルカが考えていると、屈んだ三日月がマルカのパジャマの上着のボタンを外しはじめた。
 「えっ何ですか何ですか!?」
 慌ててその手から逃れるマルカに、三日月はきょとんとした表情で首を捻った。
 「お着替えの手伝いですが……お気に触りましたか?」
 普段の満月であれば、新しい服を着せてくるのに何の躊躇いも持たないマルカであったが、三日月相手だとどうも緊張してしまう。
 同じ男性(と言う扱い)のハルに着せ替え人形扱いされても恥ずかしい内心ちょっと嬉しいくらいだと言うのに。
 「わ、私一人でも大丈夫です! 大丈夫だから!」
 頬を染め、衣装棚から掴みとった服で防御するようにしながら言うマルカ。
 三日月は表情こそ大して変化のないものの、雰囲気は明らかに落ち込んでいるようだった。
 「お嬢様が嫌でしたら、いつもの姿に着替えて参りますが……」
 「うっ……」
 マルカは悩んだ。
 満月の姿であれば、普通に接する事ができる。
 だが、誕生日と言う特別な日に、せっかくこうして労ってくれているのだ。それを無下にするものどうだろうか。
 それに、満月が男装するのを見れる機会などそう無い。
 そもそも、言ってしまえば満月は今日に限らず大抵のお願いは聞いてくれるのだ。
 「……三日月さん。三日月くん? で、お願いします……」
 「かしこまりました。お着替えはどうなさいますか?」
 「じゃあ……お願い……しちゃおう、かな……?」
 えへら、と曖昧な笑みを浮かべて、マルカは三日月の手に身を任せる。

 どうにもこそばゆいのをなんとか堪え、マルカは衣服に袖を通した。
 「おー」
 胸元にひらひらとしたフリルのついた純白のブラウスに、黒のジャンパースカート。そしてニーソックス。
 フリルの真ん中に大きなルビーのブローチをはめた姿は、確かにどこからどうみてもお嬢さまとしか形容できない。
 長い丈のメイド服も気に入っていたが、この服は心まで優雅になってしまうほどに素敵に思える。
 「よくお似合いでございます、お嬢様」
 鏡の前でスカートをはためかせるマルカに、三日月が微笑んだ。
 いつもの柔らかい笑顔と同じ表情のはずなのに、本当に他人に見える。
 「あ、ありがとうございます……」
 知らない人に褒められたような気分になって嬉しいような気もするが、どうにも恥ずかしさが勝ってしまった。
 「では朝食にいたしましょう。こちらへどうぞ」
 と言って食卓まで案内される。無論場所がわからないマルカではなかったが、まさかいつも食事を取る応接間ではなく、普段使っていない晩餐室へ通されるとは思わなかった。
 軽く三十人は座れる、広大なスペース。その真ん中に座らさせられる。
 「……別にわざわざここ使わなくても」
 困ったような顔でそう呟いている間にも、料理が運ばれてくる。
 オレンジジュースに、ふんわりと膨らんだオムレツとグリルトマト。輪切りにカットされた焼きたてフランスパンからは、芳醇な匂いが漂ってくる。
 さらに焦げ目のついた歯応えのよさそうなベーコンとポテトサラダが並ぶ、豪華なアメリカンである。
 「おおー……」
 満月の作る料理は何でも美味いとは言え、ここまで豪勢な朝食は初だった。並んだ料理に目移りしていると。
 「失礼します」
 その一言と共に後ろから手が伸びてきて、紙エプロンをマルカの首元に軽く結ぶ。
 一瞬ビクッと跳ねたマルカは振り向き、待機している執事二人を見やった。
 「…………ハルくんと三日月さ……三日月くん、食べないの?」
 「私共はお嬢さまがお召し上がりになった後でいただきますゆえ、お気になさらず」
 と、ハルは言うも、そう言われて気にしないマルカではなかった。
 「何バカな事言ってるんですか……主従関係とか気にせず、みんな一緒に食べる。これまでずっとそうしてきたじゃないですか」
 呆れたように敬語になるマルカに、ハルが苦笑した。マルカは朝食に手を付けないまま続ける。
 「お嬢様の命令です。二人とも、私と一緒にご飯を食べてください」
 そういうわけで、結局いつものように三人そろって朝食を囲むことになった。
 料理は少しだけぬるくなってしまったものの、マルカにとってそれはとても美味しく、心が満たされるものだった。
 
 「お嬢さま」
 朝食を食べ終わり、そのまま何をするでもなく座していたマルカに三日月が話しかけてくる。
 「はい、うん。どうかした?」
 「バイオリンとピアノ、どちらに興味がございますか?」
 唐突な質問である。
 マルカはうーんと少し考えた後、答えた。
 「じゃあ……ピアノで」
 「かしこまりました。では二階へ参りましょう」
 先導され、階段を上がる。連れられた先は『音楽室』だった。
 マルカの記憶が正しければ、そのような場所は自分たちの部屋がある棟の二階に存在しない。
 ハルとおままごとをした倉庫部屋は、いつの間にかすっきり片付いて風通しと日当たりのいい部屋になっていた。
 開け放った窓から吹くそよ風がカーテンをなびかせる、爽やかな部屋。
 学校に行ったことのないマルカにはわからないものであったが、ハルと満月はこの部屋にグランドピアノを設置した時にノスタルジーを感じていた。
 (館にあったのかな、こんなピアノ……まさかわざわざ買ってきたんじゃ……)
 自分のためにそこまでしなくていいのに、とマルカは複雑な表情を見せる。
 「さあ、お座りくださいお嬢様。こちらへどうぞ」
 そんなマルカに対し、さも当然と言ったように三日月はピアノの前に座って演奏を始めた。
 マルカも長椅子に腰掛け、少し三日月と距離を空けながらもその踊る指先を眺める。
 聞いたことがないはずの音楽。しかし郷愁を感じさせる旋律が歩くような速さアンダンテで奏でられ、心を揺さぶる。
 前奏の終わり、三日月が語るように歌い始めるとマルカが口を開いた。
 「きれいな声……」
 呟きは、絃が奏でる音色と三日月の低い歌声でかき消される。
 満月より一オクターブ低い、男が出すような低音の声だった。
 しかしはっきりと発音される、澄んでいてよく通る声でもあった。
 それが、細指が繊細に奏でる音色と重なりゆく。
 日本語なので、何を言っているかはわからない。それでもその声は優しく、初めて見るピアノ演奏と相まってマルカの心はその音楽に釘付けとなる。
 自然に身体はリズムを取り、横顔と指先を交互に眺めていた目はやがて自然に閉じられた。
 何の歌だろうか。マルカは想像してみる。
 カントリー・ミュージックと言うやつだろうか。一方で、和風と言われたら和風にも聞こえる。どこかの民謡のようなメロディだった。
 きっと、これは旅の歌だ。風が吹き荒ぶ、黄金色の小麦が実った故郷を後に、地平線に向かって歩き続け……そしていつしか、また同じ季節の同じ場所に戻ってくるような。そんな――
 「お嬢様も、弾いてみますか?」
 気付けば、演奏は終わっていた。
 マルカはしばし余韻に浸ったあと、首を横に振って言う。
 「弾けたら楽しそうだけど、今は、三日月くんの演奏を聴いてたいな」
 「かしこまりました」
 昇り切らない太陽の光が差し込む中で、マルカは三日月の演奏を黙って、ずっと聴いていた。
 
 「ハルくんハルくん」
 「いかがなさいました、お嬢様」
 午前中だと言うのにティータイムだと言われ、準備に向かった三日月。
 が、いない内に。マルカはハルの袖を引っ張った。
 「凄いよね、三日月くん。っていうか満月さんなんだけど、ピアノも弾けるんだね。バイオリンも弾けるみたいな言い方だったし。もう何でもできる天才執事だね」
 彼(彼女)がいないところで褒めるマルカ。
 「……その言葉は本人に言って差し上げてはいかがでしょうか」
 笑顔を崩さぬまま、『俺の彼女だもっと褒めろ』と『悪かったな俺は大したことできなくて』と、ハルは嬉しいような若干拗ねたような口調で答える。
 「うん……でも、やっぱり慣れないや、三日月くん。なんか、満月さんのいた所に男の人がいると、変な夢見てるみたい」
 「失礼ながら、お嬢様からすれば男性が多い方が嬉しいのでは?」
 少なくとも、ハルからすれば自分以外は女性が多い方が好ましい。
 「ええ? だって男の人ならハルくんがいるじゃない。お兄ちゃん一人とお姉ちゃん一人でちょうどいいよ。三日月くんだと気軽に抱きついたりできないし……」
 男性は自分一人で足りてると言われて、嬉しさのあまりハルはマルカを押し倒して性奉仕させたいと言う情動に駆られた。
 「お嬢様、頭をお撫でしてよろしいでしょうか」
 「どうしたの急に……? いいよ、もちろん」
 も、どうにか抑える。
 今はいつもと立場が逆である。遠慮がちなマルカは断らないであろうが、お嬢様らしい生活の雰囲気は台無しになるだろう。
 「お嬢様、お慕いしております」
 「ようするにエッチなことしたいって意味だよね、ハルくん的には」
 呆れたように言いながらも目をつぶってこそばゆそうにするマルカに対し否定も肯定もせずに、ハルは小さい頭をいつもより気持ち優しく触り始めた。
 「……しよっか?」
 ハルの性欲を案じたマルカは、静かに、そしてほんの少しだけ恥ずかしそうに。目を閉じたまま問いかける。
 「お嬢様がよろしいのならば、是非ともお願いしていただきたいところですが……まだ日も昇り切っていません。夜も更けてきた頃にこっそりとご奉仕致しましょう」
 その台詞はハルとしては、『あまり気を遣わなくていいから今は楽しめ』くらいの意味であったが。
 「ごほうし……」
 の単語に反応し、マルカは顔を赤らめながらも少しにやついて、もう一回繰り返した。
 「……ご奉仕。される側になってから聞くと、なんと言うか……素敵な言葉ですね……!」
 (……あー、そういえばSの気があるんだっけ、この子)
 ハルは思い出した。気弱で引っ込み思案で甘えん坊と小動物のような性格。だが、普段表に出さない小悪魔の気質を潜めているのがマルカだ。
 と言っても、それもそれで可愛いものだが。
 (拾う前に比べたら全然マシになったとは言え、マルカは未だに性行為全般にトラウマがあるからなー……将来的な事を考えると、程度を弁えた上で積極的になるのはいいことだ)
 「はい、可憐なお嬢様の夜伽を務めさせていただけるならば、私は誠心誠意ご奉仕し、お嬢様の官能を満足させてご覧に見せましょう。どうぞお愉しみください」
 (……まあ、俺がこんなこと思ってもロリとセックスする言い訳にしかならんよなぁ……)
 表面的にはマルカの事を考えているようでいて、結局は自分が満足するために過ぎないとハルは内心自らに毒づいた。
 心の奥底からマルカの身を案じたいハルは自分の下卑な性格に嫌気が指す。が。
 「お、おお……! いいですね……!! ご主人様、じゃなかった、執事のハルくんを、私の好きなように……!! お嬢様ってすごい……!!」
 当のマルカは目を輝かせ、涎すら出そうな程に妄想に耽って楽しそうににやついていた。
 「……お嬢様が嬉しそうで何よりです」
 ハルは心の底から、そう思った。