さよならお兄ちゃん

  
 
 
 
 わたしのお兄ちゃんはわたしが物心つくかつかないかのときにわたしを誘拐してわたしのお兄ちゃんになった。わたしはそのことにとっくに気づいてるけれど敢えてそのことを黙ってる。勿論それに気づいたときはすごくショックだったよ。わたしとお兄ちゃんはすごく仲良しでそこらへんの血の繋がりのある兄妹よりも兄妹らしい自信がある。まじ。週末は二人でお買いものに出かけるしお風呂一緒に入っても恥ずかしくないしフカフカのお布団に一緒にくるまりながら毎週金曜ロードショー鑑賞するのが幸せ。雪が積もった日には二人で手を真っ赤にして雪だるまを作ったりする。でも。それはやっぱり血が繋がってないからなのかなあって思う。ようするに同じ部分が少ないってこと。おたがいうまいこと噛み合ってるってこと。お兄ちゃんはわたしに欠けてるものをもってるしわたしはお兄ちゃんにないものを持ってる。たとえば整理整頓する才能とかね。お兄ちゃんはやたらめったら部屋を散らかすので油断してるとすぐ足の踏み場がなくなっちゃう。注意するんだけどいつもゆーことを聞いてくれない。逆にお兄ちゃんはお料理がめちゃくちゃうまい。やんなるぐらいうまい。たとえばわたしがチャーハンを作ったりするといつもベチョベチョになるんだけどお兄ちゃんがつくるとお店の味。ああもう思い出すだけでむかつくしお腹が減ってくる。ぐぅ。もう八時。お兄ちゃんはまだ帰ってこない。おかしい。今日は早めに帰ってくるって言ってたのに。どうしたんだろう。わたしがお腹をすかせて待ってるというのに。じつにけしからん。わたしはずっとテレビを見て気を紛らわしてる。画面の中のひな壇に座ったお笑い芸人たちが各々の暴露トークに花を咲かせている。コイツすっごく性格悪いっすよ。二股してる女に同時期に子供ができたから二人とも堕胎させましたからね。えーっというスタジオのドン引き。テレビのそういう聴衆の声はときどきウザいけど確かにそれはドン引きだわ。あーひま。ひまひま。ひますぎて生きるのがやんなってくる。どうしてわたしは生まれてきたんだろう。それはきっとお兄ちゃんの妹になるためなんだろう。なんつってね。うん。われながらドン引きだわ。そういやお兄ちゃんは彼女とかいないのだろうか。わたしが知覚できるかぎりではいないと思う。でもいてもおかしくないように思う。もしかしてと思う。帰ってくるのが遅いのはきっとそのせいだろうか。いやいや。かわいい妹を残してそれはないだろう。ないと思いたい。
 
 もしお兄ちゃんがわたしを誘拐せずにいたらわたしはどんな人生を送ってただろう。お父さんお母さんがいておじいちゃんおばあちゃんがいていとこはとこや叔父叔母がいてそれなりに幸せに生きてたんだろうか。お兄ちゃんに誘拐されたということを知ってからあたりまえがどういうものだったかをときどき考えたりする。でも結論として誘拐されてよかったということに落ち着く。なぜなら学校でほかの子の暮らしぶりを聞いてると家族ほどめんどくさい生き物はいないらしいのだ。自分はしてなかったくせに勉強しろとうるさく忠告するらしいし平気で他人の悪口を言うくせに正直でいろと説教するらしいし半ボケ老人の小言に付き合ったりしないと陰で色々言われるらしい。だからそんなめんどくさいしがらみのないわたしは幸せなのだった。勿論家事やそのほかいろいろなことをしなくちゃいけない。だけどそれは生きるためにしなくてはいけないことだからめんどくさいとかじゃないだろう。どうでもいい。どうでもいいといえばお兄ちゃんはときどきわたしに大学へ行けとか言うけど正直そこまで勉強続けたくない。わたしのために貯金をしてるらしいけどそれいらないから。貯金ために仕事を増やしたりしてるらしいけどそれ以上にお兄ちゃんに家にいて欲しいとか思うのは甘えたい年頃なのかな。
 
 いつの間にか寝ちゃってたらしく気づくと時計の針はとっくに日付をまたいでいた。お風呂に入ってなかったし歯も磨いてなかったので中も外もベトベトなのに何故か乾いてるへんな気持ち。テレビでは出てる人が変わっただけでだいたい同じ内容の番組が流れてる。夜なだけにちょっと下ネタ的な発言が多かったりする。コイツすっごく性格悪いっすよ。二股してる女に同時期に子供ができたから二人とも堕胎させて挙句の果てにフりましたからね。えーっというスタジオのドン引き。ん。あれこれさっきとおんなじ内容だっけ。気のせいだっけ。よくわからない。ピッとリモコンでテレビを消す。ところでお兄ちゃんはまだ帰ってきていない。おかしい。だんだん心配になってきた。わたしはベトベトで乾いた体のままアパートの鍵を片手に玄関へ向かい靴を履く。そして外に出る。寒! もっかいもどって厚めのジャンパーを羽織り再び外へ。風が強く吹いている。わたしの耳や指先をちぎり落としてしまいそう。この調子だったらもうじき雪が降るだろう。鍵をかける。鍵に触れた指先には感覚がない。わたしは行くあてもなく歩き始める。
 
 こんなに寒いならあったか手袋とあったかニット帽を装着してくればよかったと思うころに丁度よくコンビニがあったのでそこで休憩する。お金はもってないのですごく居づらいけれど店員もひまそうにスマホをいじってるから大丈夫。わたしは雑誌のコーナーとお弁当のコーナーをウロウロしながらこれからどうしたらいいんだろうか家に帰るべきだろうかなどと考えていた。そもそもお兄ちゃんが帰ってこない理由がわかんないからこれ以上外に出ているのは無駄。でも家にいて途切れることのない不安を感じているよりかは有意義に思える。外の冷たい風は骨まで凍えるしコンビニの中はずっと居たいぐらい生あたたかい。ふいに遠くからパトカーの音が近づいて遠ざかっていった。それはほんとに急で短いできごとだった。コンビニの店員はあいかわらずスマホをいじっていたけれど画面を見ながら小さな声でまじかよと言った。それはわたしと店員以外誰もいない店内の空気を変えるのには十分だった。なにがまじかよだったのか聞く勇気はわたしにはなかった。けどそれは先ほど通り過ぎたパトカーと無縁だとは思えなかった。ああ。ああ。あのスマホの画面を覗き込みたい。店員さんよ独り言でいいからその内容をつぶやいてくれないだろうか。無理か。たかだかコンビニの店員にそんなサービスを期待してはならないか。気になる。すごく気になる。こんなときわたしもスマホの一つもってればと思う。あーっ。いてもたってもいられずコンビニをあとにする。入ったときと同じように店員が無反応だったのが不気味だった。
 
 アパートに着くと息も整えずにテレビをつけチャンネルを替えまくる。どこかの局がニュース番組でもやってないだろうか。こんなへんな時間だけれども。ピッピッピッ。何周かしていると地震速報みたいに画面の頭に白抜きの文字でテロップが出現した。やっぱり。なにかが起こったのだ。それは確かにわたしの住む街で起きた事故のことだった。わたしの住む街には高速道路のインターチェンジがあってそこでトラックと乗用車の衝突事故があったらしい。トラックの運転手は無事だったけれど乗用車に乗っていたカップルは病院に搬送された後に死亡が確認された。加害者と被害者らの名前には少なくとも見覚えがなかった。よかったよかった。いやよくなかった。亡くなった方にご冥福をお祈りしますだけどわたしは正直ホッとしている。ピッ。テロップが消えたあとの画面の中ではひな壇に座ったお笑い芸人たちが相変わらず暴露トークに花を咲かせている。ピピ。コイツすっごく性格悪いっすよ。二股してる女に同時期に子供ができたから二人とも堕胎させましたからね。えーっというスタジオのドン引き。あれこれさっきの。ピピピ。そして司会者のニヤリとした顔が映る。ピ。なので今日はその二人にお越しいただきましたと彼は言う。戸惑う芸人たち。それでは登場していただきましょう。真由美さん(仮名)と千鶴子さん(仮名)。安っぽい音楽と安っぽいスモークの演出でCMのあと××(芸人の名前)大ピンチ!というテロップ。ピピピピピ。CM終了。顔にぼかしのかかった女性二人が同じくぼかしのかかった子供をそれぞれ引き連れて出てくる。子供はきっと女の子だろう。わたしたちはあなたに捨てられたけれど堕胎はしませんでした。えーっという聴衆のざわめき。あなたは殺したいほど憎いけどお腹の子供に罪はなかった。だから堕胎することはできなかった。かつてないほどシリアスな空気がスタジオに充満している。ピピピピピ。じゃあ父親のことをどう説明するつもりだよと芸人は追い詰められて言う。可哀想だろ。ぜったい俺は認知しないからな。ピピピピピ。ピピピピピ。べつにいいわ。わたしたちはこの子をわたしの妹として育てるの。父と母は死んだって嘘をついてね。ピピピピピ。ピピピピピ。ピピピピピ。わたしたちはこの子のお姉さんになるの。ピ。顔にぼかしのかかった子供は何も知らない。大人の世界は複雑すぎる。難しすぎる。わたしは疲れてずいぶん眠たくなっていた。意識が朦朧としている中電話の音がピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ。ぴ。目覚めたら雪が積もってるといいなあ。