ヘビーローテーションで会いたかった

 
   
   
 時間は朝かもしれないし、昼か夕方かもしれないし、あるいは深夜かもしれない。仮に深夜だとしよう。真夜中。耳を澄ますと、遠くで音が聴こえる。それは車の音かもしれないし、虫や鳥の声かもしれないし、あるいは酔っぱらいが喚いている声かもしれない。こうやって耳を澄ませてみると、必ずしも夜は、静寂ではないことを思い知らされる。そのことが少しだけ嬉しく思われる反面、煩わしくも感じる。
 あなたは今、空腹かもしれない。晩御飯はとっくに食べてしまって、なにか口にするものが欲しいかもしれない。タバコは吸う? 吸うなら、タバコを箱から取り出して口にくわえ、ライターと灰皿を探す。吸わないなら、なにかないかと冷蔵庫の中身を想像する。もしかしたら友人の結婚式でもらったブランデーが戸棚に残っているかもしれない。
 やめよう。
 そんなことをして、夜の虚しさを紛らわすのは良くない。それでいつも余計な負荷を自分の体に負わせてしまって、翌朝後悔するのだ。あなたはコップに水を注ぎ、それをあおることで妥協する。
 あなたは眠いかもしれない。あるいはまったく眠くない。眠ろうとして先ほど布団に入ったが、眠る気持ちになれなくて三十秒もしないうちに布団を出たかもしれない。眠れない。眠っていいはずがない。眠ってしまうのは勿体ない? そこまでは思っていない。あなたは今、疲れているのだ。疲れているのに眠れない。この何とも言えない空虚な時間をどうやって過ごせば良いだろう?
 しばらくしてあなたはひらめく。散歩はどうだろう? 真夜中。すでに日は回っているけれど、あなたはそれに怖気づく年頃ではない。ワクワクする年頃でもない。そんな時代は遠に過ぎた。それでも、水槽の水を替えたような不思議な爽快感があなたを満たしていく。心は疲れているが、体はさほど疲れていないのかもしれない。むしろ心が疲れている分、体は元気な気もする。それは思い過ごしだ。心も体も平等に疲れている。けれども散歩するという思いつきは、あなたの背中を押して玄関のドアを開けさせる。

 外は少し暑いかもしれないし、寒いかもしれない。少なくとも蒸し暑くはないし、凍えるほど寒くもない。だから散歩をするにはちょうど良い。と思い、あなたは着の身着のままで玄関を出て、道路へ足を踏み出す。マンションならば階段またはエレベーター、あるいは大穴でエスカレーターを使って一階まで降りて、駐車場と駐輪場を横切って道路へ。
 歩道をしばらく歩くとキミドリ・シロ・アオの三色で彩られたコンビニが見えてくる。ガラス越しに店内を見ると、レジの前で店員が暇そうな顔で携帯端末機器をいじっている。友人あるいは恋人と連絡を取り合っているのだ。店員の勤務態度ごときであなたは気分を害さない。ふと、自分は携帯端末機器を家に置いてきたことに気づく。それがなぜだか誇らしい。
 時折、あなたの視界を駆け抜けていくモノがある。それは光だ。車の、図々しく目に差し込んでくる光。街灯の、弱々しく目に入ってくる光。目に差し込んでくる光は否応なしに視覚をチクチクと刺激するし、弱々しく入ってくる光は心をなだめ落ち着かせる。その交互のバランスが、あなたには気持ちよく感じられる。散歩して良かったとあなたは思う。少しだけアルコールが欲しくなる。
 あと三日だな。とあなたは思う。三日後、世界的な知名度を誇る“スポーツ大会”があなたの住む地域で行われる。それはもはや“スポーツ大会”という幼稚な呼び名に収まる歴史と規模ではないかもしれない。古代ギリシアを起源にもち、世界中のトップアスリートが集結しで限界を競う。それに人生のすべてを懸けている者は大勢いるが、興味がない者からしたら単なるお祭り騒ぎなのかもしれない。街は期待に浮かれているし、それとはまた別の不安を抱えている。その不安こそが、あなたの心を曇らせている正体だ。その正体とは
 
 
 
 よそう。それを考えたくないために、あなたは真夜中の散歩に踏み切ったのだ。けれどあなたはひしひしと肌で感じている。この街は今、煙のようにモヤモヤした空気をたなびかせている。いつもと違う感じは言葉で説明しにくい。少なくとも普段の感じではない。この街はもっと、バラバラの意志を持った得体の知れないめちゃくちゃな感情で渦巻いていた。それが今では、期待と不安で真っ二つだ。

 十メートルほど先から、一組の男女がこちらに向かってくる。カップルかもしれないし、カップルじゃないかもしれない。こんな時間に二人連れて歩くことを考慮すればカップルかもしれないし、二人の身体的な距離に注目したら単なる友達なのかもしれない。彼らはべろんべろんに酔っ払っているのか、大きな声で話している。それは以下のような内容だったかもしれない。
「シゼンハッカぁ?」
 「そ、自然発火っすよ」
  「シゼンハッカ、ってぇ、なにぃ?」
   「自然に発火することですよ」
    「ハッカってなに? コンピューターのすごい人?」
     「違いますって、火!」
      「ヒィ!」
       「炎!」
        「ほの~」
         「燃えるんすよ」
          「も~? 萌え~?」
           「ああもう、それでいいですよ」
            「萌え~!!」
             「それで、何人も死んでるんです」
              「でもそれってさ、ある意味幸せな死に方だよね」
               「突然正気に…!?」
 それ以降は物理的に聞き取れなかった。だが、すべてを聞く必要はない。あなたはそれを知っている。知りすぎている。考えないようにしていたが、どうやらそれは叶わないらしい。自然発火現象。ここ数日、その話題を耳にしない日はない。なぜなら。あなたはその事件を解決しようとしている人間だからだ。
 ちょっと違うな。
 正確には。
 あなたは都民を、この事件の恐怖から守ろうとしている。あなたはそういう立場の人間だ。それは仕事でもあるし使命でもあるから、あなたはそれが解決できないことに苛立つ。あなたの心はモヤモヤしている。被害者の数はすでに、道徳の教科書に載るレベルだ。同僚は皆あきらめを抱いているが、あなたは違った。
 いや、あなただって本当はあきらめている。それは違う? 違わない。そう。だけど、毎日被害者が増え続けているこの状況に、慣れつつあるというのは嘘ではない。今日はこれだけの被害者で済んで良かったと、心のどこかで安堵している。それがあなたには許せない。許してしまったらおしまいだと思う? そんなはずはない。なら、あなたはまだ大丈夫。

 ことの起こりは四日前だったかもしれない。正確には五日前だったかもしれないし、もっともっと前だったかもしれない。その事件が報告されたのが四日前だったというだけで、正確な時期は推測の域を出ない。自然発火現象という胡散臭さに、あなたとあなたの同僚は半笑いで事件現場に向かった。移動中はAKB48とそのプロデューサーの話題で盛り上がった。時間は午前中であり、場所は河川敷だった。透き通った空に立ち上る煙は、ボヤ騒ぎのように曖昧で覇気がなく子供のイタズラのような印象さえ受けた同僚もいたし、あなたも大体そんな感じだ。
 しかし、その煙の始点にあったのは、犬のような、あるいは猫のようなスタイルで燃え尽きていた老婆だ。本当に、犬や猫みたいなスタイル以外にたとえようがない。少なくとも、ハムスターでないことは強調しておきたい。逆に、ハムスターのような焼死体を見たことがあるだろうか? 少なくともハムスターではないスタイルで黒焦げになった老婆の焼死体は、あなたとあなたの同僚を混乱に陥れる。方法も、動機も、何もかもが不可解だ。しかしその混乱は、ささやかなものだ。なぜなら不可解な事件は、たまにではあるか確実に起こる。世の中には色んな人間がおり、それらが関係し合うとまるで掛け算のように複雑さを増してしまい、不可解な事件を引き起こす。だから。あなたはまだ、この事件が都民全員を巻き込むと予想していなかった。できるはずがなかった。老婆は身寄りがなかったため、結局、事故として処理された。
 仕事場に戻る途中、不意に連絡があった。再び事件だという。状況は、先ほどの河川敷の老婆と恐ろしく酷似している。場所は、その河川敷から五千メートルほど離れた住宅街の一角にある公園内であった。燃え尽きていたのは十五歳の少年だった。彼はイマドキの若者にしては珍しく不良少年で、平日、昼間の時間帯でも学校へ行かず、事件現場の公園や先ほどの事件現場の河川敷などでボンヤリしていることが多かった。と、近隣住民は語る。それは不良少年ではなく学校に行けない生徒ではないか? 他者への濁った理解は、地球温暖化より深刻な環境問題である。それは言いすぎかもしれない。とにかく彼は学校をサボっており、サボっている途中に自然発火した。サボっていることと自然発火することに関連性は見い出せなかったが、その焼死体はどちらかというと犬のような印象であった。犬といっても様々である。あなたの個人的なイメージでは、寒い地域に生息していそうな大型犬だ。しかし熱い地域でも大きな犬はいるかもしれない。と、そんなことをボンヤリ考えながら、あなたは失意の中にある彼の両親に話を訊く。しつこく訊く。しつこく訊く必要はあまりなかった。なぜなら自然に発火したからである。先ほどの老婆とは縁もゆかりもないことは明白だが、これは一連の事件である。と、あなたの直感はささやく。そもそもこんな狭い区域内で、立て続けに不可解な事件が起き、それらに関連がないと思わない方が難しい。
 あなたとあなたの同僚は一旦昼食をとり、霞ヶ関の仕事場に戻ることにする。昼食はミスドだ。あなたとあなたの同僚は一週間に四回以上ミスドに行く。一般的に知られていないが、霞ヶ関で働く人間のほぼ七割が一週間に三回以上ミスドに行く。丸の内と比較してみてもこの数値は異端である。なにが彼らをそうさせるのかは定かではないが、不可解な事件が立て続けに起こったこの時ですら、他愛もない話に花を咲かせるぐらいの余裕はあった。AKB48のプロデューサーが還暦を迎えて以来スピリチュアルな方向に走ったとか、AKB48を母体にした宗教団体を設立したとか、教義はギリシア神話と仏教の輪廻転生つまりヘビーローテーションの解脱に基づく破天荒な内容だとか、そういう話だ。それらはすべてスポ
 ーツ新聞から仕入れた情報だ。あなたは普通の人よりも少しだけ頭が良いので、そういう話を茶化すことに関してはなんの苦労もない。ミスドのポイントは堅実に累積していく。
 仕事場に着くと騒然としていた。自然発火現象は河川敷の老婆と公演の少年だけではなく、ほかにも二十代の学生や四十代の主婦、日本に滞在中の外国人や不法滞在者にまで及んでいた。あなたとあなたの同僚がミスドで昼食をとり、他愛もない会話に花を咲かせ、ポイントを堅実に累積している間にも、自然発火現象という不可解な事件は起こっていたのだ。あなたはポケットの中でミスドのカードを握り締めることしかできない。頻発する不可解な事態に対して、言いようもしれない大きな力が働いていることを感じる。

 それから今日までの四日間は、地獄絵図のような日々だった。そして明日も地獄絵図のような日々が続くのだろう。それでもあなたはミスドに行ったし、これからも行くだろう。あなたは時折思う。もしかするとこの事件は、この街に住む全員が自然発火するまで終わらないのかもしれない。それが単なる妄想で片付けられないのは、自然発火している人間が、全国津々浦々でこの街に住む人間に限られているという事実のせいだ。たとえば川を挟んだ向こうの県では、自然発火現象など一度も起こっていない。この街の人間だけが、示し合わせたように自然発火している。
 そもそも自然発火とは一体なんだ? 何が原因で起こっているのだ? これは人間の所業なのか? あなたにはどうしても、この事件に犯人がいるとは思えない。犯人がいたとしたら、その背後を流れる澱んだ意識が感じ取れるはずだ。しかしこの事件には、そんなモノが一切感じられない。ただ、毎日毎日焼死体の山が死体安置所に積まれていくだけだ。まるでミスドのポイントのように。そういえば。あなたは既に、ミスドのグッズと交換できるほどポイントを貯めた。世界的な“スポーツ大会”仕様のマグカップを貰う予定だ。そのマグカップは世界的な“スポーツ大会”のロゴである五つの輪をドーナツで表現したモノであり、あなたはこの企画を考えた人間に脱帽する。いただくつもりだ。全種類。

 今は何時なのだろう。ふいにあなたはそう思う。携帯端末機器はないし、腕時計も今ははめていない。持っているのは財布と家の鍵とポイントカード(ミスド)だけだ。どれだけ歩いたかわからない。見覚えのないところまで来てしまった。さすがに身体的に疲れてきたし、明日からの仕事にも影響が出そうだ。幸いなことに、ずっと真っ直ぐに歩いてきたので、家の方角はわかっている。元来た道を引き返すために体をターンさせる。すると、あなたはそれを見る。見てしまう。しかし、それがなんなのか
 あなたにはわからない。

 炎

 何が燃えているのか、あなたにはわからない。炎の向こうにうっすらとその影が見えている。それでもわからない。なぜ? あなたは何度もそれを見てきたのではないか? 憂鬱になるほど凝視してきたのではないか? 正確には、それの残りかすを。だが逆に、何度も何度も見たからこそ、それを想像する余裕がなくなっていたのかもしれない。現実を知っている大人よりも、現実を知らない子供の方が妄想力が強い。裏を返せばそういうことだ。だからあなたは、それを受け入れることがなかなかできない。目の前で人間が燃えている。ようやくあなたは、それが人間の自然発火だということを受け入れる。そしてその火柱は、こちらに向かってくる。向かってくる? 走ってくる? それは誤認じゃないのか? いや。確実に炎は、あなたをめがけて進んでいる。ポイントが貯まるように、あなたへの距離を詰めていく。熱気が肌を刺す/炎が視界を埋め尽くす/あなたは逃げようと試みる/だが/逃げることはできない/足が震えて動かない/あえて動かそうとしない/落ち着いている/心は/恐怖や不安や安堵が入り混じっている/安堵?/なぜあなたは安堵している?
 炎が手に触れた瞬間、あなたは再びターンする。そして走り出す。家の方向とは真逆の方向へ。今まで散歩してきた道の延長線へ。つまり知らない道へと走り出していく。あなたは追憶する。一瞬だけ、炎の中にいた人物が微笑んだような気がしたのだ。気がしただけだ。その人物があなたに触れたときには既に、表情というリッチな情報は失われていた。しかしもし顔面が燃え尽きていなければ、その人物は微笑んでいただろう。なぜそう思うのかというと、あなた自身が微笑んでいるからだ。スピードを上げれば上げるほど、炎は強靭になっていく。全身に炎が回る。あなたは火だるまだ。それがあなたには楽しすぎる。すべてがわかったのだ。これは演出だったのだ。なんのための? それは言うまでもなくわかりきっている。これは“始まり”なのだ。ああ。不可解な事件の謎が解けた喜びは、全身の燃える痛みをはるかに凌駕する。もはや都民を守ろうとか、そういう意識は燃え尽きている。左足に読み捨てられた新聞紙が絡みつく。新聞紙はあなたと一緒に燃え始める。スポ
 ーツ新聞で読んだ記事で、もはや宗教の開祖になったAKB48のプロデューサーは大体こんな感じで語っていた。人間は執拗に輪廻生を繰り返す/そこから解脱するためには、プロメテウスの火が必要だ/プロメテウスの火は超人の火つまり釈迦の灯だから/それで解脱できる/浄土みたいな所に到れる。それは馬鹿げている。だけどあなたは朦朧とする意識の中で、次に“バトンタッチ”する人を探す。この炎を絶やしてはならない。聖火だ。聖火を絶やしてはならないという使命にあなたは燃える。心まで燃えてしまう。もはや何も見えない。何も聞こえない。走っているのかどうかすら怪しい。だけどあなたは走っている。どこに向かってる? それは“わたし”よりも“あなた”がよく知っているはずだ。誰でもいい。誰か一人、心の中で思い浮かべて欲しい。それが、あなたが一番会いたかった人間だ。会いたかった人間だ。会いたかった人間だ。はい。会いたかった会いたかった会いたかった人
 間だ。
 
 はい。
 
 全力で自転車を漕ぐように。
 べダルを踏みしめて坂を登るように。
 服が風で膨らんでも気にしない。
 あぁ~もどかしいな。
 
 自分の気持ちに気づいたよ。
 正直になること。
 道はたった一つしかない。
 全力で走るよ。
 
 好きだから好きって言うし。
 誤魔化すつもりは全然ない。素直。
 好きだから好きって普通に言うよ。
 胸の内側、全部見せちゃう。
 
 どんどん肉汁が溢れてくる。
 でもそれを拭うことはしないよ。
 灼熱のトンネルみたいに熱いけど。
 それが近道だって信じてるよ。
 
 あんまり上手に言えないかもしれない。
 だから直接そう言っちゃう。
 自分らしく? らしさってなんだろう。
 何も考えずに走るよ。
 
 誰よりも(親よりも)大切だから。
 「君じゃないんだよね」って言われても泣かない。
 誰よりも(親戚よりも)大切だから。
 「気持ち悪い」って思われても気づかないフリ。
 
 好きだから普通に好きって言っちゃうし。
 誤魔化すつもりは全然ないよ? マジ素直。
 あぁ~やっぱり好きなんすねぇ。
 恥ずかしい部分、全部見せたいな~。
  
 ラララララ ラララララララ
 ラララララ ラララララララ
 ラララララ ラララララララ
 ラララララ ラララララララ
 
 会いたかった会いたかった会いたかった。はい。
 会いたかった会いたかった会いたかった。はい。
 会いたかった。
 
 
 そしてあなたは“君”の手に触れるために燃え尽きる。老婆や少年や学生や主婦や外国人と同じように、真っ黒焦げの焼死体になるだろう。
 
 
  
  
 
 
sage