ブタ野郎がいた教室

 
 
 教室がざわめいた。転校生はブタ野郎だった。歳はたぶん…40代後半だろう。詳しく描写することは控えるが、六年生の教室にいてはいけない危険人物だということは、全員が瞬時に理解した。
 なぜそんなのが現れたのかを語るため、先生が口を開いた。
「生きるとは、なんだろう?」
 あれ違った。
「では江口。答えてみないか」
 江口くんは背中を針で刺されたようにビクッてなった。それが普通だ。だって…六年生だし、ブタ野郎が教卓の上(教壇ではなく)でハアハア吐息を漏らしていて(臨戦態勢)、それで、生きることについて即答できたら…マジで、そっちの方が異様じゃん。頼むからこれ以上、混沌のレベルを濃くしないでくれ江口…!って願っていたら、案の定江口くんは、なかなか答えられなかった。
 なかなか答えられない江口くんに向かって、先生は優しく言う。
「そんなにこわばる必要はないんだ。ただしい答えはないのだからな」
 ないのかよ。
「答えは人それぞれ。実を言うと先生も、それを探している最中なんだ」
 しらねえよ。
 ここでようやく、異様な空気に慣れてきた優等生の中川くんが、言った。
「僕が思うに、生きるって、」
「このブタをクラスで飼おうと思う」
 優等生を無視して先生が言ったことをまとめると、こうだ。
 現在、日本は、原子力発電で使われたウランの最終処分場をどうするかという問題を抱えている。それは今回の物語とはいっさい関係ないが、少子高齢化のあおりを受けて風俗業界は衰退の道を辿っている。そこで問題になっているのが、風俗業界を干された人間の行く末である。
 かつて、風俗業界は性の英才教育を受けた人材だけが活躍できる華々しい舞台であった。それが現在では、利用者の減少にともない、どこもかしこも看板を下ろすという事態に陥っている。働く場所を奪われた風俗嬢たちは、自殺したり、故郷に帰ったり、自殺したり、自然に帰ったり、帰依したり、公園で暮らしたりと多彩であるが、幸せな家庭を築けるのはほんのひと握りである。しかし、もっと根深い問題は、ブタ野郎の行く末であった。
 ブタ野郎とは、いわゆるSMプレイでMの役目を仰せつかる高貴な職である。だが、それも風俗業界の衰退によって、職を追われる身となった。
 ブタ野郎はなまじ防御力と持久力が高いため、リストカットや首吊りなどで死に至らない。電車に飛び込んでも、なぜか生きていたという事例は山のように報告されている。生命力の高さ故に野生化するブタ野郎も環境問題のホットトピックの一つであり、それに対する法の制定が急がれている。
 つまり、この国にはブタ野郎の行き場がなかった。
「実は、先生とこのブタ野郎は、同級生なんだ」
 教室がいろんな意味でざわめいた。
「彼はもともと成績優秀で、のちは博士か弁護士かと謳われた神童だった。しかしある日、好きだった女の子に振られて、腹が立ってレイプしようとしたらその女の子の彼氏がタイミングよく現れて、ボコられて、それで性に目覚めた」
 涙なしには語れない壮絶な過去である。しかしまだ、ブタ野郎がなぜここにいるのかという説明に繋がっていない。この教室がブタ野郎の最終処分場だというのか?
 先生は言う。
「先生な、このクラスでいじめが爆発的にトレンディなの、知ってるんだ」
 教室が不思議な緊張感に包まれた。
 それは、なんていうか、僕のことである。
 僕はなんていうか、その、なんていうか、いじめられているのだと思う。それも現代風の、無視してシカトして~みたいな草食系ではなく「三十秒以内に先生で抜け」とかいう体育会系のいじめである。
「でも、わかるんだ。いじめたくなる気持ち。先生も、ブタ野郎に目覚めたこいつのことをよくいじめていたんだ。ほら」
 先生がブタ野郎のケツを、慣れた手つきでパシィンと叩く。その音は恐ろしく澄み切っていて、僕らの心に染み込んだ。
「いい音だろ?彼にとって生きるということは、即ち、いじめられるということ。だから思う存分、彼をいじめてくれないか?それが彼にとって唯一の、生きるってことなんだ」
 ここで僕らは、先生の思惑をすべて理解した。つまり、僕に向けられているいじめのエネルギーを、このブタ野郎に注げというのだ。そして、ゆくゆくは学会でこの事例について発表したり、本を書いたりして、映画化まで持っていこうという魂胆なのだ。
 ブタ野郎は、早くいじめて欲しいという目つきで、僕たちを見ている。それは、四十代後半の、下手すれば僕らの親よりも年上の人間ができる目つきじゃない。彼は本気でブタ野郎なのだ。
 確かに先生の目の付け所は鋭かった。社会問題と教育問題を合わせ技で解こうとするその発想は常人にはできまい。うまくいけば学会で賛否両論の的になり、書いた本はバカ売れし、映画化まで漕ぎ着けただろう。しかし誤算があったとすれば、大人から見た子供はそんな愚直な人格じゃないってことだ。

「サンバのリズムに合わせて射精しろ」
「校庭で亀甲縛りで日光浴しろ」
「電車のつり革で抜け」
 僕に対するいじめは、収まるどころか、むしろ勢いを増し始めた。それは、先生がいじめというプレイの存在を認めたことも大きかった。ブタ野郎を見るたびに、クラスのみんながいじめを意識してしまい、そのはけ口はすべて僕に集中したのだ。
今まで見て見ぬふりをしていた女子も参加するようになり、僕へのいじめは《かなまら祭り》に代表されるような、性のお祭りの様相を呈してきた。
 それを象徴するエピソードとして、ハダカ神輿の話をしようと思う。思ったけど…やっぱりやめた。この話はマジで、思い出すと耳の奥がブゥゥウン…と静かに疼き、小一時間、非連続的に、眼球の後ろで小人が暴れるような頭痛が生じてしまう。そんな壮絶な、夏の夜の短い夢のような、いじめだった。
 それからの展開は、まあ、強い刺激を求めた文化にありがちな、構造自体を見直そうという流れに落ち着いた。有り体に言えば、みんないじめをやりすぎて、その構造や形式自体に疑いを持ち始めたのである。つまり、いじめという構造の脱構築が繰り広げられたのだ。
 そんなふうに、より複雑に・より難解に、いじめられていく僕の姿を、ブタ野郎は羨ましそうな目で見ていたのである。これがいじめの最先端か…と。

 まあ、このようにして、ブタ野郎はいじめられず、僕のいじめはもはや哲学の域にまで達していた。
 これには先生も参ってしまった。まさか哲学とは…哲学とは…って感じで参ってしまった。僕よりも先に先生が参ってしまったのは釈然としないが、先生が参ってしまったのは事実なのでしかたがない。先生は二日休んだ後、三歳になる娘とお腹に新しい命を宿した妻を残して焼身自殺した。
 先生が自殺して、一週間だけ教頭先生が担任をやった後、ブタ野郎は野山に放たれることになった。このご時世、ブタ野郎一匹を養う余裕は、地方の小学校にない。されども処分する場所もない。必然的に、大自然に返すしか選択肢はなかったのである。
 ブタ野郎が野山に放たれる前日…僕は、相変わらず形而上学的ないじめを受け、ガランとした教室でぼんやりと天井を見つめていた。天井を見つめると、現実世界から解放される気がするのだ。蛍光灯は消しっぱなしで、窓から差し込む夕陽が教室を赤く染め上げている。この建物が上下逆さまに回転したらどんなに楽しいだろうかという妄想にふけっていると、教室の後ろの掃除用具置き場の隣に潜んでいたブタ野郎が、そっと僕のそばにやってきた。
 ブタ野郎を間近で見るのは、実は初めてだった。そして、今まで『ブタ野郎』というイメージでブタ野郎という存在を認識していたことに驚かされた。彼は、とても知的な表情をしていたのである。このままスーツを着て、霞ヶ関で働いていても違和感はない。
 
「ブタ野郎をやめようと思ったことは?」
 どちらが先に口を開いたのかは憶えていないが、それを訊いたのは僕である。
「それが、うん。一度もないんだよね」
「へえ。だったら今、どんな気持ち?」
「幸せに満ちているよね」
 ブタ野郎は、少し低めの声でそう言った。
 僕には、その答えが正気の沙汰とは思えなかった。
「嘘でしょ」
「本当だよ」
「だって、あなたはいじめられたいんでしょ。でも、誰もいじめてはくれなかった。みんなあなたのことを無視して、挙げ句の果てに捨てられて。それでも幸せだったって言えるの?」
「簡単なことに気付いたんだ」
 彼は穏やかに言った。
「ようするに、いじめられないという欲求不満。孤独という絶望が、気持ち良くなったってことなんだけど」
「それって」
「うん。人はつねに孤独なのだけど…唯一、他者といるときだけ、その孤独を忘れることができる。故に他者に囲まれて生きている人は、いつしか、孤独を忘れている状態が当たり前になってしまい、孤独を何よりもおそれる」
「でも、」
 僕はずっと孤独になりたかった。形而上学的ないじめなんて…受け入れたくなかった。それをおそれるだなんて、全然わからない。
「君もわかるときがかならずやってくる。私はずっと、他者からの刺激を全身に浴びて、ここまできた。だから、孤独というのは恐怖じゃなくて、女王様の新しい鞭だと思うようにしたんだ。誰からも相手にされないことで、私は、より多くの新しい快楽を得られる。最初はこの考えがなかなか受け入れられなかったのだけど、今では、孤独が何よりも楽しく感じる。孤独だけじゃなくて、いろんなことがそうなんだ。自分の未知の領域に鋭い刺激が走り、それが快楽となってグツグツと煮えたぎるんだ」
 ブタ野郎は一皮むけた様相を呈していた。この歳になって、まだ伸びしろがあるなんて…それが僕には釈然としなかった。
 一皮むけた彼は、初めて僕に目を合わせた。
「ところで」
 彼の瞳は光の具合で、異様にキラキラしていた。
「君は、目覚めたかい?」
「いいえ」
 ブタ野郎と言葉を交わしたのはそれっきりである。

 ブタ野郎がいなくなってから、僕へのいじめは嘘みたいになくなっていった。みんな脱構築に興味を持ち、デリタなんかを読み始め、僕なんか相手にしてくれなかったのである。いじめによって複雑化した僕の心はこの事態を受け入れることができず、わざといじめられるような奇行に走ったりもした。しかし、それもすぐに無視された。

 言いようも知れぬ不安に満ちた毎日であった。自分がどうしたいのかわからないまま、無気力な生活を送っていた。
 ブタ野郎のことはすっかり忘れていたのだが、たまたま見た朝のニュースで、ブタの駆除を認めた法律が可決されたと知った。それが、彼の言葉を反芻するキッカケとなった。自分の抱いている不安と照らし合わせて、ようやく、ブタ野郎が言ったことの本当の意味を理解できた。
 ようするに、僕自身もブタ野郎だったのである。誰かにいじめられている時だけが、自分という存在を確かなものとして認識していた。僕は安心するためにいじめられていたのである。孤独という恐怖から逃れるために。
 しかし、孤独は恐怖ではないと、ブタ野郎は言った。孤独は自分を高めるための挑戦であり…それを楽しむ術を身につければ、人生のあらゆることが楽しく感じられるのだという。

 とりあえず僕は、たくさん本を読んで、いろんなことを知ろうと思った。読書は孤独じゃないとできないし、知識がなければ世の中の複雑な楽しさに気づくことはできない。
 その読書の中で、とても心に引っかかる一節を見つけた。
 孤独を愛するものは野獣か、さもなくば神である。アリストテレスの言葉である。あまりにも引っかかるため、ときどき読み返す。そのたびに、あのときのブタ野郎の瞳が脳裏をよぎるのである。
「君は、目覚めたかい?」
 今なら「うん」と答えられるだろうか。
 
 
sage