佐藤で加藤




 佐藤には無限の可能性が秘められている。それを知っている加藤は、彼の自堕落な態度が歯がゆくて仕方がない。伊藤なんかと一緒にいずに、俺や斉藤のいるグループに入ればいいのに!
 そう思いながら並木の通学路を歩いていると、背後から後藤に声をかけられた。
「加藤、なにぼうっとしてるんだよ。また佐藤のことを考えてんのか?」
「後藤かよ。余計なお世話だよ」
 後藤は、幼いころからの付き合いであり、初めて会ったのは小学三年生だった。その頃はもう一人、首藤という友達がいたが、首藤が転校したのをきっかけに、なんとなく知り合い程度になっていた。しかし高校生になり、斉藤たちとつるむようになって、昔とまではいかないが友人のような関係に戻っていた。後藤は、小学生の頃は標準的な体型だったが、加藤との仲が戻ったときには閾値を超えたデブになっていた。後藤はハアハアと息を切らせながら、加藤の横に並び、
「お前、工藤のことはどうなったんだよ?」
「あいつは・・工藤はもう、帰ってこねえよ」
 加藤は、つい先月まで懇意にしていた工藤の横顔を思い出す。俺があんなことを言ったせいで、工藤は、阿藤と進藤にあんな仕打ちをしてしまったのだ。しかし、たとえ工藤と再会するチャンスがあっても、俺は何も言えないだろうと加藤は思った。
「外に出てくるのは、半年後だっけ?・・工藤」
 後藤の、気を遣うような態度がなぜか気に入らなくなり、加藤は口を開きかけたが、
「おーい!加藤!後藤!タラタラしゃべってっと遅刻すっぞ!」
 遠くでそう叫んだのは、近藤である。近藤は犬っぽい笑みを浮かべて近づいてきた。
「後藤、お前っていつみても脂肪がものすごいな!加藤はホント骨と皮だし・・お前ら、俺と一緒に筋トレすっぞ!」
 そう言って近藤は加藤と後藤の間に割って入り、筋肉の力で二人を抱きしめた。遠くで始業ベルが鳴り、加藤と後藤と近藤は走り出す。


 佐藤は三人いた。三人の佐藤はともに男子で、保健室登校であった。不思議なことに、その保健室にいる佐藤は常に一人であり、それ以外の佐藤は学校をお休みする。佐藤Aが登校するなら佐藤Bと佐藤Cは学校を休むというように、その保健室には、常に一人の佐藤Xという名の男子生徒が存在したことになる。
 保健室の先生・須藤は、彼らの誰かが何らかの理由により顔面がぐちゃぐちゃになって殺されていても、とりあえず佐藤だということだけはわかる、という確信に満ちていた。むろん、いずれかの佐藤に死んでもらいたいと思っていたわけではない。ただ、須藤という男は、そういう論理の必然的な面白さに目がない男であり、その事実に気が付いた瞬間、いてもたってもいられない性分なのだった。
 だから、足元に横たわる佐藤の亡骸に目を落としながら、俺が殺したのはどの佐藤だっけな・・?という無邪気な問いに、心を躍らせていた。佐藤の顔は丹精込めて耕された畑のようにぐちゃぐちゃになっている。須藤の手には斧が握られており、それは校庭の伐採が趣味な校長・権藤が校舎裏に用意していた備品の一つだった。須藤は息を整えてから、自分の行動を思い返す。
 それは、朝・・始業前の職員会議が終わり、須藤が保健室に帰ってきたときだった。いつもなら始業の放送が鳴って、30分ほどしたのちに佐藤が現れるが、その日はすでにベッドのカーテンが閉じられていて、中に人の気配があった。須藤はいつもと異なる空気を感じていたが、とりあえず薬品棚のチェックをすることにした。彼は本当のところ医者になりたかったが、半藤という家庭教師のせいで医大受験を三浪し、ギリギリのところで教育学部に受かった。須藤はそこで養護教諭課程と教員免許をとり、保健室の先生になった。あれから十年以上たった今でも、半藤の「もう保健室の先生で良くない?」という発言と表情を思い出して殺意がわく。そして、実際それで妥協した須藤という自分に対しても、もっともっと殺意が湧く。
 そんな時に、保健室の窓から校長の権藤が手斧を肩にかけて歩いていく姿が見えた。権藤はどうしても伐採したい木があるからということで、会議を早抜けしていたのだった。それから須藤の行動には無駄がなかった。校舎裏へ向かい、権藤が放置した斧を手に保健室へ引き返し、ベッドのカーテンを開けて佐藤の顔面を耕した。


 加藤は、先ほどの始業ベルダッシュで盛大にこけ、ひとり、片足を引きずって歩いていた。後藤と近藤は肩を貸して保健室に連れて行ってくれるどころか、振り返って加藤の様子をうかがうという素振りすらしなかった。いや、実際は後藤も近藤もチラッとだけ振り返っていて、それを見落としていただけかもしれない。が、とにかく加藤はむなしい気持ちになっており、立ち上がると、左膝が10センチほどすりむけていた。普通に歩くと痛むので、足を棒のようにして加藤は保健室へ向かう。
 保健室は職員室よりも奥まった場所にあり、佐藤に会いに保健室へ行くことはあっても、怪我で行くことはまれだった。そうだ、佐藤がいる。佐藤は常に保健室登校をしており、運が良ければ加藤が懇意になりたいと願っている佐藤に会えるかもしれない。そう思うと加藤の気持ちはいくらか高まった。
 校長室→職員室→途中、体育の武藤とすれ違い→トイレをへて曲がり角を曲がると→そこに保健室がある。保健の須藤が書いた『ほけんしつだより5月号』が貼られた引き戸を開ける。
「須藤先生・・膝すりむいちゃったんですけど」
 加藤が保健室のドアを開けると、そこには血まみれの白衣を着た須藤と、顔面にまっすぐな稲を植えられそうなX藤が横たわっていた。
「あ・・加藤か。ごめん、ちょっと今手が離せないから、勝手にやっててくれる?」
 加藤は薬品が置かれた台の傍に置かれた丸椅子に腰を落とす。
「あの・・それって何藤ですか?」 
 加藤は脱脂綿をピンセットでとり、ヨードチンキをしみこませながら尋ねた。
「佐藤だよ」
「どの佐藤?」
 加藤にとっては、それが重要だった。
「お前も知っての通り、この保健室には常に佐藤がいるだろ?勢いでやったから、どの佐藤かわからなくて・・でも、佐藤ということだけは確定している、という状況、面白くないか?」
「たしかに・・だけど、俺が懇意になりたいと思っている佐藤を殺されたら、困るんですけど」
「なんだ、加藤・・お前、佐藤のことをそんなふうに思っていたのか」
 いえ、そこまでではないですけど・・と、加藤は目を伏せる。ヨードチンキをたっぷりしみこませた脱脂綿を傷口に強く押し当てて走る痛みで、須藤のからかいに対する感情をかき消そうとする。
「しかし、三分の一の佐藤だ。これで、お前が好きな佐藤だったら、そういう運命だったってことだろう。ところで、この佐藤はその佐藤かどうか、調べてもらってもいいか?」
 加藤は傷口に絆創膏を貼って、立ち上がり、今にもまっすぐな稲が植えられそうな顔面をした佐藤の傍に立った。本当に、見事に耕されていて、加藤は植えられた稲が秋になりたわわな実を結び、それが全国に出荷されて各御家庭で味わわれている光景まで幻視した。
 佐藤の顔に鼻を近づけると、加藤は雷に打たれたようにビクンとなった。
「これは・・これは、その佐藤です」
「そうなのか、その佐藤で間違いないのか?」
「はい、佐藤の、佐藤家が頻繁に購買している、シャンプーの匂いです・・」
 須藤は絶句し、しばらく思いを巡らせて、
「なるほど・・加藤、本当に、すまなかった」
 加藤は、目が熱っぽくなるのを感じていた。目をつむると、熱く太い涙が頬を伝った。
「佐藤・・佐藤・・佐藤ーーー!」

「なんだよ加藤、朝っぱらから」

 加藤と須藤が振り返ると、開け放たれた引き戸の前に佐藤が立っていた。
「須藤先生、おはようございます」
 時間はちょうど、始業の放送がなってから30分ほどだった。

「なんで・・?佐藤、お前は俺が殺したはずじゃ?」
 須藤はあまりの恐怖で斧を手放し、その場にへたり込んでしまった。そして尿を漏らし、佐藤だったはずのX藤から流れ出た血液と混じり合った。
「なんでって、須藤先生・・それはこっちが聞きた・・ああ、なるほどね」
 佐藤は一瞬で、状況を理解したようだった。
「彼は、佐藤です」
「だがっ・・必ずその日に来る佐藤は一人だけのはず」
「正確には、佐藤でした」
「佐藤『でした』!?」
「はい、彼の旧姓は新藤。昨日、俺の親父と新藤の親父が再婚して、佐藤になったんです」
 加藤はそれで合点がいった。
「一緒の家にくらしているから、シャンプーの匂いも同じだったのか・・」
「そうだ・・ってか、おい!?加藤お前・・怪我してるのか?」
「ああ・・さっき後藤たちと走ってたら、見事にこけてしまってな」
「そんなの貼ってたら化膿するだろ、貸してみろ、加藤」
 そういって佐藤は加藤の絆創膏をはがし、ヨードチンキでべとべとになった傷口を舐めた。
 
 
 
 
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