第10話 ヤマトソウル (2018/4/2)

 聖具――それは無垢なる乙女が持つことで真の力を発揮するといわれている、神聖なるピュアエロスの乙女にのみ所持が許された武具。
「ダークエロスの乙女が手にすることなどできないはず……」
 自在にフライパンを操るマリンを見つめて、アンリエッタは呻く。
「冥途の土産に教えてあげます。出てこい、ミサンガ!」
 マリンが宙を見上げて声を上げると、禍々しい光を放つ青い球体が現れた。
 球体から手足と耳のようなものが生え、大きく裂けた口から耳をつんざく咆哮が上がる。
『ウオォォオオ……!』
「ミサンガ、うるさい」
 マリンに一喝されると、少女の頭ほどの青い球体はおとなしく口をつぐんだ。
「なぜあなたがダークエロスの乙女でありながら、そこまでピュアでいられるのかわかりました」
 ミサンガを一瞥して、アンリエッタは静かに剣を構える。
「いやいや、俺には何が何だかさっぱりわからないよ。モニターの前のお友達もわかっていないはずだ」
 高橋はミサンガとマリンを交互に見比べながら呆けたように呟く。
 そんな高橋を見て、後堂エムは大げさに肩をすくめため息をついた。
「やれやれ、こんな無能がマスターではピュアエロスの乙女も哀れだな。見てわからないか? あの邪悪な存在を」
 芝居ががった口調で話す後堂を、高橋は横目でにらみつけた。
「ミサンガがダークエロスのエネルギーから邪悪な部分をすべて吸い取っているのだよ」
 やれやれ、と首を振りながら後堂が続ける。
「それでマリンは良い子でいられるっていうのか。聖具といい、俺の知らないことだらけじゃないか」
 高橋は自分の知識不足にうなだれた。アンリエッタに教えてもらわなければならないことがたくさんある。もちろん、無事に帰ることができればの話だが。
 そうしている間にも、アンリエッタとマリンの一進一退の攻防は続いていた。
 激しい金属音、飛び散る火花。上段からの一振りはフライパンにより阻まれた。
 マリンはそのままフライパンでアンリエッタを押し返す。
「次はこちらの番です!」
 再びマリンのフライパンの取っ手が外れ、アンリエッタに向かって飛んでいく。
 横に跳んでかわすアンリエッタだが、その背中を弧を描いてマリンの手元に戻るフライパンが再び襲う。
「アンリエッタ!」
 床に叩きつけられるアンリエッタに、高橋が駆け寄る。
「フッ、やはり時代はJCか。もちろん私はJS派だがな」
 金髪をかき上げて後堂が哄笑する。
「マスター、離れてください……この乙女は非常に危険です……」
 剣で床を突いて立ち上がるアンリエッタは、高橋を見上げて苦しそうに息をついた。
「だからこそ、君を放ってはおけない!」
 高橋が言うと、アンリエッタは乱れた銀髪の向こうで微笑んだ。
「茶番は終わりだ! マリン、マスター高橋ともどもピュアエロスの乙女を叩き潰せ!」
 二人のやり取りに業を煮やした後堂が声を荒げる。
 それに呼応して、マリンは後ろに跳びながらフライパンを発射する。
 先ほどにもまして一層機敏で隙のない動き。剣よりはるかに広い間合いをカバーするフライパンで、アンリエッタに防戦を強いている。

「どうしたマスター高橋、やはり手も足も出ないか?」
「至高のプロスポーツとは何か、まだ答えていなかったな」
 戦う二人の乙女の横で、高橋と後堂が向かい合う。
「ナンバーワンプロスポーツはジャパニーズスモウだと言いたかったが、とてもそんなことを言えるような情勢ではなくなってしまったな。恨むぞ、貴乃花親方」
 小さく肩を落とす高橋を見て、後堂は口角を吊り上げる。
「だがな、日本に生まれた以上おまえのような外道外国人同人作家をのさばらせておくわけにはいかない。ダークエロスだとかピュアエロスだとか、そんなものは関係ない。俺のヤマトソウルが叫んでいるんだ」
 言い終えると、高橋は机の上に置かれていた自身の同人誌のサンプルを手に取った。残された最後の一冊。生まれて初めて体験した完売という名の名誉。
「長口上は終わりか?」
「終わりだ」
 もはや高橋の目に後堂の姿は映っていなかった。
 視線の先にあるのは、手元の同人誌。アヘ顔のふたなり少女。高橋が愛してやまないジャンル。
 高橋の中に、聖なるスケベ心の炎が灯る。
 異変を感じ取ったのか、後堂の顔に不安の色が広がっていく。

 アンリエッタが膝をつき、追撃のフライパンが振り下ろされたその瞬間。
「このピュアなエネルギーは……!」
 アンリエッタは顔を上げ、フライパンを剣で払いのける。
「こ、これがマスター高橋のピュアエロス……」
 打って変わってマリンが苦鳴を漏らす。いかに精霊ミサンガがダークエロスを吸い取っていようが、所詮はダークエロスの乙女である。
「少しだけ思い出しなさい、ピュアなあの気持ち――」
 残された力のすべてを剣に込めるアンリエッタ。神速の一撃が横薙ぎに繰り出される。
「メルティ・ラブ!」
 即売会場のサンシャインシティに、光の波が走る。
「お見事です……」
 聖なる光に包まれて消えゆくマリンに、高橋は思わず手を伸ばした。虚空をつかむ手、震える拳。
 これが浄化だとわかっていても、一人の少女が消えたことに違いはない。その事実が高橋を苦しめた。
「なぜ、なぜ私のエロスがピュアエロスなどに負けたのだ……? 私は日本を、世界を孕ませる男だというのに」
 呆けたように立ちすくんでいる後堂を、高橋は横目で見やる。
「興味のないジャンルのイベントに参加した時点で、おまえの負けは決まっていたんだ。自分の漫画で抜けない……自家発電できなくなった同人作家に価値などない。せいぜいアメリカで金のためにつまらんエロ漫画を量産するんだな」
 言い捨てる高橋。
 ダークエロスの力を失った後堂エムは、もはやただのオタク外国人だった。
「苺ましまろは置いていけよ、それは誇り高き日本の漫画だ」
 遠ざかる背中に、高橋の無情な言葉が突き刺さった。

「大丈夫か、アンリエッタ」
 しゃがみこんでうなだれているアンリエッタの横で、心配そうに片膝をつく高橋。
「いいえ、大丈夫ではありません」
 アンリエッタの声は震えていた。いつも自信に満ち溢れていた、凛とした表情は失われていた。
 高橋の目の前に差し出された剣の刃が、中ほどから真っ二つに折れていた。