「貴様、ふざけてるのか!」
 怒号と共に、私の目の前で上司が頭からビールを浴びせかけられた。上司は黙って90度の角度の御辞儀を保ったままだ。髪の毛とシャツの襟からポタポタと雫が滴り落ちる。
「ここは先代の担当者の方の時代からうちのお得意先だから、会社から遠いところをわざわざ抑えたんだ! それがなんだこの様は!」
 ビールを頭からかけたお客様は大層ご立腹である。それも我々、というか私のせいだ。予約の人数を一桁間違えていたために抑えていた席が足らなくなったり、ビールの銘柄を間違えたり。やらかした内容が多すぎて正直書き切れない。
 揃って頭を下げていると、後輩が一人走り寄ってきた。矢面に立つ上司に内心で謝りつつ、席を外す。
「準備出来た?」
「ばっちりです。急なお願いだったにも関わらず、ご好意でフルに用意出来ました」
「よし。それで、結果は?」
 私が後輩に問うと、後輩は黙ってしっかりと頷いた。行ける。
「作戦は決行だ」
 私はゴーサインを出した。

 後輩と共にお客様の元へ戻ると、お客様はビールの二本目を開けようとしているところだった。勿論飲む為ではなく、かけるためである。後輩がその後ろに近寄る。
「お客様」
「なんだ、まだ何かあるのか!」
「いえ、ビールをかけるのであれば、これをお使い下さい」
 後輩が差し出したのは、球場で売り子が背負っているようなランドセル式のビールサーバーである。突然の申し出にポカンとしたお客様にてきぱきと背負わせると、後輩は言った。
「このビールはお客様がご所望だったアサポロのビールです! 存分にかけてください!」
「おいおい待ってくれ、何を言っているんだ君は」
「一方的で気が引けるというのなら、ご心配なく」
 そう言った後輩の背中には、既にもう一台サーバーが背負われていた。
「お客様には私どもがかけます」
 壮絶なビールかけ合戦が始まった。

 会場の全員が全身ずぶ濡れのへとへとになった頃、上司が呟いた。
「で、これは一体なんの乱痴気騒ぎなんだ?」
「優勝記念ですよ」
 私は即座に答えた。
「お客様の会社が、都市対抗野球で先ほど優勝しました。ビールの銘柄に拘るほど愛社精神の強い方なら、当然ビールかけで祝うだろうと思いまして、勝手ながら用意させていただきました」
 お客様の楽しそうな顔を見て、決勝戦を見ていたせいで注文聞きが上の空だったことは黙っていようと思った。