もう何度目になるか、点けては消しを繰り返したケータイの画面をもう一度見る。圏外。何度見ても入らない電波が入るようになるわけないのだが、こうやって頻繁に確認してしまうのも現代病の一種だろう。こんな黒い画面よりも、目の前の景色の方がずっと珍しいはずなのに、そちらはすぐに飽きてしまって、日常に帰りたいと願ってしまう。
「ハイジャックだ!!」
 突然甲板に男が一人飛び込んできた。そのすぐ後ろから男がもう二人。二人組が先に入ってきた男を小突き倒すと、片方が組み敷き、もう片方は甲板にいた僕らに向けてライフルのようなものを向けた。黒づくめで目出し帽、ミリタリージャケット。組み敷かれている人の勇気ある警告がなくとも、この船が大変なことになっていることはよく分かる光景だった。
 僕はほとんど反射的にケータイを取り出した。海上保安庁は118番だっけ? あ、そうか。圏外だった。
「えー先ほどご紹介に預かりましたハイジャック犯です。皆さん抵抗はやめてくださいね。圏外なので通報も出来ません」
 驚くほどのんびりとした声でハイジャック犯が言った。誰も何も言わない。波と船のエンジンの音だけがやけに不気味に響く中、ハイジャック犯が続けて言った。
「この船の行き先ですが、伊豆大島から硫黄島へ変更になりました」
 何を言ってるんだコイツ。思わずそう口にする前に、誰かが呟いた。
「馬鹿か、コイツ」
 皆の沈黙が沈黙の肯定を示していた。伊豆大島行きのフェリーが硫黄島まで行けるほどの燃料を積んでるわけがないのだ。
「燃料のことなら心配いりません」
 相変わらず能天気な声を出してハイジャック犯が続けた。
「仮設マストと帆布を用意してきました」
 言葉にならない溜息が甲板に溢れる。僕は言った。
「マスト、今のうちに立てた方がいいんじゃないですか? 手伝いますよ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
 ハイジャック犯は無邪気に喜んでいる。僕は頭が段々痛くなってきた。

 数時間後コーストガードの船が現れた時に、ハイジャック犯のリーダーは「何故だ! 圏外なのに!」と悲痛な叫びを上げていた。アホ過ぎて海上無線の存在を知らなかったようだ。
 犯罪者は学がなくともなれるようだが、最低限の知識は必要なんだなと僕は思った。とすれば、今の勉強も無駄ではないということになる。