「何描いてるの」
 集中してイーゼルに向かっていたら突然後ろから声がしてドキリとした。透明感のある涼やかな声。一度聞けば二度と間違える人はいないだろう。
「なにって、何てこともないただの人物画ですよ。見ます?」
 なるべくそっけなく聞こえるように取り繕う。大丈夫、勘違いはしていない。先輩が興味があるのは僕の絵だけ。改めて自分にそう言い聞かせ、心を落ち着けてから、ちらっと様子を窺う。
「相変わらず綺麗な絵を描くんだねー」
 先輩は僕の絵を眺めながらいつものように軽く微笑んでいる。その目は大きく見開かれており、カンバスの隅から隅までを瞳がキョロキョロとせわしなく動き回る。
「褒めても何も出ないっすよ」
「もう、相変わらず素直じゃないわねー。年上からの褒め言葉は素直に受け取っておけばいいの」
 冗談じゃない。こんなに無造作に放り投げられる言葉をいちいち素直に受け取っていたら、僕は感情のタンクはたちまちパンクしてしまう。
「ところでこの人、なんか見覚えのある感じがするのよね」
「へえ、そうですか?」
「そうよ。ねえ、誰かモデルにしたの? 私の知ってる人じゃない?」
「してないですよ。他人の空似じゃないですか?」
「えー、でも見覚えあるのよ。無意識でも誰かを意識したとかないの? ほら、ちゃんと見て」
「ちょ、勝手に動かさないでくださいよ!」
 先輩がカンバスを抱えて持ち上げようとしたのを慌てて止める。両腕を抑えにいったことで急に顔が接近し、僕の目の前で描きかけの絵と並んで大写しになった。
 アホな僕は、そこでようやく気付いたのである。
 絵の中の女性が、先輩にそっくりであることに。
「どうかした?」
「い、いえなんでも」
 おかしい。似せようと思って描いたことはなかったはずだ。むしろ似せないように気を使っていたはずだ。その証拠に、目も、口の形も、黒子の位置も、そしてこの仕草さえも、先輩とは全然違う。似ているところなんて何一つないはずだ。なのに、似ている。どこがと具体的には言えないが、確かに似ているのだ。
「ねえ、思い出した? 誰がモデルなの?」
 僕は返す言葉を見つけられなかった。
「まあいいわ。いつかきっと白状させてあげる」
 先輩はやってきた時と同じように突然踵を返して去っていった。その後ろ姿を見ながら、僕は思った。彼女は知っている。知っているんだ。