「ちょっとお母さん! パンに塗るものちゃんと用意しておいてって言ったよね!」
 娘が台所に怒鳴り込んできた。
「なんだい、朝から騷がしい。そこにマーガリン置いだだろう?」
「だからもうー、言ってなかったっけ? マーガリンは食べ物じゃないでしょ! ちゃんと食べられるものを用意してよって言ったじゃない!」
「マーガリンは食べ物でしょ、私は毎日食べてるし」
 娘は大げさに溜息をついた。
「またそんなこと言って……本当に毎日食べてるんだ。出てきた時からなんとなく予感はしてたけど」
「何が言いたいんだい」
「これ」
 娘はタブレットに一つのウェブページを示した。そこにはゴテゴテした文字で『マーガリンはプラスチックと同じ! 1gごとに寿命は1年縮む』というタイトルが踊っている。
「分かる? うちではいつもマーガリンじゃなくてバターを使ってるの。それは、マーガリンは健康に悪いけど、バターなら健康に悪くないから」
「そうは言うけど、バターは高いでしょう」
 母の言葉に娘のイライラ度合いが一段上がった。
「だからさ、別にバターを用意してくれとまでは言ってないって。食べ物を用意して欲しいって言ってるの、例えばジャムとかチョコレートペーストとかピーナッツバターとかあるでしょう? マーガリンじゃ困るのようちは」
 やれやれ、子供を産んでからというものいつもこうだ。孫と一緒に帰ってきてくれるのは嬉しいが、こう毎度毎度怒られては堪らない……母が内心嘆息していると、朝刊を取り込んできた父が食卓に姿を見せた。
「あら、おはようございます」
「ああ、おはよう。そのマーガリンなら安全だ、食ってもいいぞ」
 父が喧嘩に口を挟むなんて珍しい。びっくりした母が黙っていると、娘が聞いた。
「どういうこと、お父さん?」
「なに、毎日ちゃんと『ありがとう』って言ってあるからな」
「ありがとう?」
「水に『ありがとう』と声を掛け続けたら綺麗な結晶になるって話知ってるだろ? あれと同じ要領でな、毎日感謝の言葉を伝えとる。もう2週間ぐらいはやっとるはずだから、今頃はもうバターになっとるだろ」
「えーそうなんだ! 知らなかった、今度うちでもやってみようっと」
 先ほどとは打って変わった態度でパンにマーガリンを嬉々として塗る娘を見ながら母が聞いた。
「ちょっとお父さん、今の話本当なんですか?」
「なわけないだろ。マーガリンで騒ぐ奴にはあれぐらいの嘘が丁度いい」