プロローグ

 そこで苛烈な戦いが起こったというのは、彼らのみ知る事実であった。
 サラマンドル族の兵士・トーチは月がのぼった空を見上げている。
 甲皇国とアルフヘイム――――両国が骨身を削り、命を賭して挑んだ戦争は、禁断魔法の発動という奥の手によって停戦に持ち込まれる結果になった。剣を掲げて戦っていた者からすれば無残な仕打ちであり、そうでない者にとってはあっけない幕切れであった。
 甲皇国の部隊はほぼ全滅し、アルフヘイムは国土の三分の一を喪失。
 長らく続いていた戦争。
 生まれた時からすでに始まっていた戦争。
 最後にそれが残したのは、誰の利益とも成り得ぬあまりにも悲惨な結果だった。
「俺たちは、何のために戦っていたのかねえ」
 仲間の一人が酒をあおって言う。
 全ては我がアルフヘイムのために――それが大義だった。
 本質は種の存亡にある。多くの種族が入り混じるアルフヘイムは戦時下でなくとも種族間の争いが絶えず、特に彼らサラマンドル族のような下等生物と蔑まれがちな種族は、自分たちが滅びないようにするので精いっぱいだ。
 戦下においてもそれは変わらない。彼らは死に物狂いで戦った。種を守るために、故郷を守るためにその力を存分に振るった。
 結果もたらされたのは、守りたかった故郷の荒廃。禁断魔法の直接的な影響は受けなかったのものの、戦地になったというだけで被害は甚大だ。
 生まれ育った村は跡形もなく燃やし尽くされ、戻るべき場所もない。実質的にサラマンドル部隊を率いていた副隊長のトーチに関しては、全幅の信頼を置いていた部隊長・エイルゥさえも失ってしまった。
 そんな時に禁断魔法で戦争が終わったと言われても、徒労感でいっぱいのところに追い討ちをかけられるだけだ。何の救いにもならない。憂さ晴らしに甲皇国兵を殺すことができる戦時中のほうがよっぽど気が紛れた。
「トーチ副隊長」
 同じサラマンドル族の部下が、トーチに声をかける。
「戦争は終わりましたが、私たちには帰る場所がありません。これから私たちは、どうするべきなのでしょうか。私たちは何をしたらいいのでしょうか」
 そんなもの、俺にだって分からない。
 とは、言いたくても言えなかった。ここで副隊長の自分が気弱に振る舞うと部隊全体の士気にかかわる。トーチはつとめて無表情のまま答えた。
「考えならある。後で話すから、それまで待機しておいてくれ」
「……承知しました」
 もちろん嘘だ。これからどうすればいいかなんて、副隊長といえ一兵士に変わりないトーチでは考えきれない。
 戦闘に関しては他の追随を許さないが、策略などに関しては凡人だ。だからエイルゥに隊長を任せ、彼女の下で部隊の一番槍に甘んじていた。
 その頼れる隊長も、今はいない。
 そうなった時に、部隊の皆が視線を向けるのは誰なのか。
 無論、副隊長であるトーチだ。
(俺に何ができるって言うんだ、隊長)
 トーチは熱気のこもったため息を吐き、遺品の整理を始める。戦争の最中ではそんなことをしている余裕はなかったが、今はこんなことでもしなければ気が紛れない。
 ふと、甘い香りが嗅覚を刺激する。
 香りが漂ってきたのは、隊長・エイルゥの遺品からだ。
 一瞬、何だこれはと思ったが、トーチはこの香りを知っていた。

『美味いだろ? キビダンゴって言うんだぜ、それ』

「キビ、ダンゴ……」
 大きな葉で包まれた中から出てきたのは、エイルゥに教えてもらった食べ物だった。
 今でもその正体はよく知らない。サラマンドル部隊ではキビダンゴという名前で通っている。が、それまでに食べたことのない甘さと美味しさを兼ね備えていたために、士気高揚には大いに役立った。トーチがエイルゥに従い始めたのも、キビダンゴが食べられるからという目的があったからかもしれない。
 しばらく食べていなかったそれを、トーチは口に含んでみる。
 甘い香りと柔らかな食感で口の中が満たされる。
 ああ、懐かしい。そういえばこんなにも美味しいものだった。思えばキビダンゴは一種の回復薬のような役目も担っていて、ひどく疲弊している時でもキビダンゴを食べるといくらか落ち着いたものだ。
「隊長、何ですかそれ?」
 トーチが心なしか笑みを浮かべているのに疑問を浮かべたのか、若い衆の一人が近寄ってくる。その顔はひどく落ち窪んだ表情で満たされ、精気に欠けていた。
「何って、キビダンゴだよ。食ったことないか?」
「あー……話だけなら聞いた気がします」
「そうか。どれ、ひとつ食ってみろ。とても美味いから」
「いいんですか? ありがとうございます! ……うわっ! 本当に美味しい!」
 若者は心底、嬉しそうな顔をしていた。歩く屍だった様相に一気に活力が満ちる。
 トーチは「だろ?」と笑いながら、ふと、ある考えを思いついた。
 そうだ。
 どんなに疲弊してても、どんなに死にかけていても、美味いものを口にすると一時的であれ幸せになれる。それだけで幸福感を味わうことができる。
 トーチも同じだ。おそらくは他のサラマンドル族のものも、ひいてはあらゆる生き物にとってそうだろう。
 美味いものを食べられるということは、それだけで幸福なことなのだ。
 そして、これからは不幸な人々が増える。
 サラマンドル部隊もそうだ。身内を失った者、故郷を失った者、罪から逃れて異国に旅立つ者……戦争はそんな人を多く生む。多くの不幸な人々が、このアルフヘイムを始めとした国々に増えていく。
 ならば。
 彼らを手っ取り早く幸せにするには、どうすればいいか。
 分かりやすい結論を言えば、美味いメシをたらふく食わせればいい。
 そうだ。幸福を奪われたなら、幸福を与えてやればいいんだ。
 それだったら俺にだってできる。
 美味いメシを思う存分食わせてやるという形で、実現できる。
「副隊長? どうしました、変な笑い浮かべて」
「ん!?」
 トーチはキビダンゴを食べていた部下に指摘され、思わず口元を覆う。人知れず笑ってしまっていたようだった。少し恥ずかしくなる。
 だが――――自ずと笑みが溢れるほどの妙案には違いなかった。
「……血と火薬の匂いが充満する時代は終わった。なら、これからはその後に目を向けていかなきゃいけねえ」
 キビダンゴに似た月が浮かぶ空を見上げ、トーチは笑う。
「これから増える“飢えた”者たちを、俺の手で満足させてやろう」

 そして、しばらく時が経った頃。
 トーチの耳にも巨大大陸――ミシュガルドの話が飛び込んできた。
 様々な変化が訪れる時期となった。
 六五年に渡る戦争の停戦。突如現れた謎の大陸。交錯する各国の思惑。ミシュガルドの奥地に眠る謎。人々も変わった。謎を求めて大陸を訪れる者。混乱に乗じてアルフヘイム・甲皇国で騒ぎを起こす者。活発化し始めた商業にいち早く目につける者。
 その中でもごく小さな変化ではあったが、ミシュガルドの地にて、まだ誰も名前を知らない小さな小さな焼肉屋がオープンした。
 かくして、時代も変わる。
 ミシュガルド誕生による、“食の時代メシガルド”の幕開けだった。