第三十七話 星光は贋作と共に


 常時優勢を保っていた琥庵の一打が、肩を押さえて片膝を着いた晶納の眼前で止まる。
 荒く吐いた息が拳の風圧で散らされる中、敵の身体中に巻き付いたものがガリリと噛み付いて動きを封じているのを見た。
 真っ黒な鎖。それも錆などではなく、墨にどっぷり浸けたような影じみた黒一色。細かな刃を幾重にも束ねたような禍々しいそれは、歪ながらに縛り上げた対象の抵抗を骨肉を削ぎつつ縫い止める。
「〝魔枷縛鎖グレイプニル〟…からのッ」
 武装精鉄を主とするアルが生み出した拘束具には武器ほどの精巧さが無い。相手の馬鹿力を前に二秒でも稼げたのは上出来だった。
 もうこの滅魔師を相手に相性など考えることはしない。魔を宿すこの男に最も通用するはずだった調伏の剣が効かなかったのだ、今更退魔に優れた武装を選りすぐる必要もなくなった。
 だからあとは、純粋に性能だけを見る。
 利き手に握った両刃剣の柄から、彼の褐色肌をさらに薄黒い文様が這い回る。手から腕へ、肩まで及ぶ鱗の連なりにも見えるそれは模倣された神話の呪い。
 銘を〝呪侵妖剣ダーインスレイヴ〟。高い耐久性と切れ味を誇るが、使い手へ死と殺戮の運命を負わせる忌まわしき剣。
 凶悪な能力と使用時に身を侵す呪紋から、白の目に触れる場では決して使うまいとしてきた一振りである。
 鎖を引き千切った琥庵が標的を切り替える。尋常ならざる概念種の総量を抱えた四肢は振り返るアクションで地面を大きく抉り、急襲すらも意味を成さないままにアルを捉える。
「さァて!」
 汗を噴き出しながら猛々しく笑い吼える。全身が熱かった。呪紋が骨まで届き視界を暗転させかけるほどの激痛を与えてくる。
 『反転』しただけの魔性種に神域の再現は出来ない、模倣が限界だ。しかしそれでいい、もしもアルが神格兵装すら完璧に生み出せる者だったら、ダーインスレイヴは鍛造の段階でアルを確実に死なせる因果に結び付けていた。
 この剣は対峙する敵の死を確約する代わり、身が滅ぶまで闘争に駆られ続ける。だが模倣の時点でその性質は失われ、剣の性能と引き換えに使い手へ死と同等の痛みを科するだけで済んでいる。
 普通であればそれでも発狂必至の対価ではあるものの、ことアルムエルドという男にとっては普通の範疇に収まらない。ある側面において彼は引っ繰り返った起源のもと狂気を発現させていたから。
 太刀筋を間違えず、アルが琥庵の突き出す拳の勢いに沿わせる形で剣を押し当て、斬り裂く。分厚いゴムを斬ったように重たい手応えだったが、今度の武装は代価に見合うだけの威力を発揮した。〝憑依〟の外殻が手首から肘まで剥がれる。
 外殻ごと腕が裂け、血管を傷つけたのか派手に鮮血が飛び散るも、意に介さずギロリと見下ろして来た。
「…」
(少しも怯まねぇか…だが!)
 アルには分かっていた。先の攻防で仕掛けた炎剣の一手。当人はポーカーフェイスを気取っていたが明らかに嫌がっていた。酸欠を狙い火炎を撒き散らすアルの行動に苛立っていた。動きが僅かに鈍っていた。
 通じる。人間という種に対するどうしようもない肉体面の欠点は補えていない。ある程度普通の人間を超えた性能だとしてもこの刺激に完全な無効化は不可能と見た。
 次の一撃は躱せなかった。〝呪侵妖剣〟で受けたがあっけなく薙ぎ払われる。
「!」
 腕を振り切った時、剥がされた外殻部分からさらなる痛みを感じ思わず視線を落とす。痛覚如きで動きを止める憑百ではないが、その腕には傷口に捩り込むようにして一本の短剣が刺さっていた。殴打を受けた際に手早く地面から鍛造し突き刺していたのだろう。
「くだらん」
 すぐさま体表を覆う邪気によって引き抜くまでもなく短剣は押し戻され腕から離れた。瞬間、地に落ちる僅かな間に短剣がひとりでに罅割れ内から仄かな光が漏れ出でた。
 両脚と剣で急制動を掛け停止したアルが解放の一句を唱える。
「蹲ってる場合じゃねぇぞ走れ退魔師!〝燐光輝剣クラウソラス!!〟」
 主の一言に応じ、砕け散った短剣はその光を爆発的に強めた。無論、直近にいた琥庵にとっては強烈な光に眼球が焼かれたように痛み、視界が白く埋め尽くされてしまう。
(神話体系からの効力汲み上げは体力使うんだが言ってらんねぇか!ストック全て使い切る!)
 妖剣を宙に放り投げ、巨体の股下に滑り込んだアルが両手を地面に押し当てる。掌から伝う力が地面を赤熱させ、突き出た槍は光線の如き速度で上昇し琥庵の腹を打った。衝撃に突き上げられ巨躯が爪先立ちになる。
「ハァ!」
 手が焼けるのも構わず赤い槍を鷲掴みもう一度真上へ叩きつける。真っ赤に尾を引く一撃にとうとう体が地から離れ浮き上がる。
「ぐ、の、ォおああああッッ!!」
 ミシミシと両腕の筋が限界を叫ぶが無視し、超重量の巨躯を上空に打ち上げる。さらに右手に持ち替えた赤く熱を発する五叉の槍を投擲する。狙いはざっくり適当でいい。アルが直撃させるポイントを把握していれば、自然とそれは矛先を定める。
「土手っ腹だ〝伍岐灼槍ブリューナク!〟、糞邪魔な邪念共を撃ち抜け!」
 一度放たれれば最後、定めた敵へ向かい分かたれた五つの穂先が着弾するまで光弾となって飛翔する、太陽神ルーの獲物。
 五つに分かれた赤光が一旦散り散りの方向に奔り、充分な速度を確保した後に同一の地点へ稲光を放ち殺到する。
「…!」
 初弾、防御に回した両腕で弾き次弾で腹部の装甲が半分ほど爆ぜる。三弾目には再び引き戻した腕に阻害されてしまったが残り二発は降魔の鎧を完全に吹き飛ばした。その間にも衝撃は琥庵を空高く押し上げ、今や地表から三十メートルほどにまで。
 肉体へのダメージは無い。五叉槍の火力では装甲を剥ぐまでで精一杯だった。
 だから用意していた。
「―――それは揺れ動くもの、戦を告げる剣戟の響き」
 一帯に飛散して滲み込んでいたアルの血液が地中で鉄を打つ。脈動は周囲の地面全てへ波紋を刻む。至らぬ技量に耐え切れず形を成す前に崩壊しかけるところをどうにか保ち、具現する。
 不思議なことに茶褐色をした、無骨なフォルムの槍だった。放たれる圧力と威容に似合わない、それはまるでそこら辺にある長枝を拾って加工したかのような。言ってしまえるのであれば陳腐とすら形容できる槍の外見にしかし騙されてはいけない。
 アルが出せる中で最大級の威力を有した神代の逸品。神樹から削り出された至高の神槍。
 空中なら回避は不可、降魔への時間は与えない。
「屠って見せろよ滅魔の法螺吹き野郎。言ってもこっちは贋作パチモンだ、綽々と受け止めてくれるんだろうなァ!?」
 ようやく全容を現した槍が放出する神気に当てられて全身の傷が開く。まるで届かぬ高みに手を伸ばした愚者への天罰とでも言いたげに、槍は使い手にアルを認めない。
 黙れ、従えと握力を一層強め、圧力に腕がひしゃげる前に真上へ槍を投擲した。
天貫神槍グングニル―――ッ!!!」
 それはまるで地から天へ昇る雷。
 贋のかたちは即座に蒸発し、現出した神力のみが矛となって空を穿った。発動からコンマ数秒の内に神槍は見渡す限りの雲を消し、星の光に溶け込んで失せた。
 通過上の空間が思い出したようにギュンッと空気を取り入れて真空から平常に戻る。真正の槍ならばきっと、空間すらも抉り取っていた。
 それほどの一撃。投槍という行為をして、それはむしろ射撃に近かったのかもしれない。
 アルは嗤った。今ので体力をごっそり持っていかれ、すぐ傍に突き刺さる妖剣だけが頼り。もう鍛刀するだけの余力は僅かに残るのみ、あと三つか四つそこらと予想をつけた。
 だというのに、あの怪物は。
「……贋作者が」
 憎々しく吐いた呟きが空から落ちる。
 両腕は生身が露出してもなお真っ黒に染まっていた。焼け焦げて炭化しており、左の腕は骨が見えるまで肉が喪失。黒い頭巾も右半分だけで左は頬から火傷で壊死したらしく崩壊を始めていたのが見える。
 自分という肉体ものを二、三割も失くしても殺意がおとなしくなることはなく、燃え続ける意志は殺戮を諦めない。
 ここまで来れば流石に諦めざるを得ない。あれは人を棄てた者だ。
「あーあぁ、ったく」
 落下まで二十メートル。巻き返すには足りない。
 だから、もういい。
「特異家系者…か。ってこたぁそりゃ、やっぱテメェらんトコの不始末じゃねーの?」
 背を向け歩き出す。降って来る災厄から目を逸らし、舌打ちした。
 自分で言ってて嫌になる。これは負け惜しみに等しい。本当は自力で仕留めたかった。
 出来なかった。だから手柄を譲ってやる。倒せなかった理由を特異家系の関係性に押し付けて。

「ケツ拭けやクソ退魔師」
「どいてろザコ人外。邪魔だ」

 青白い刀身が琥庵の細くなった左腕を切断した。赤黒い刀身は削げた鎧の隙間を突いて背面から斜めに刃を沈み込ませる。
「かっ」
 異常な量の血を吐いた琥庵の瞳が迫る地面から背後へ移る。
 存在を忘れたわけではなかった。妖魔の人外よりも警戒していたくらいだ。何せ退魔師には使用する全ての術、技に魔性特効が付与されている。〝憑依〟の降魔で幾千幾億と固めた身であっても刃が通る可能性があった。
 利き腕の肩を砕いたことで油断していたか。視界は未だ不明瞭、先の爆光から回復し切っていない。だが気配で察することは出来たはず。
(……神槍に利剣、妖剣。神気と瘴気に満たされた空間で退魔師の感知が鈍ったか…?)
 妖魔が鍛造した武具はいわくが付いたものばかりだった。ただの武具には無い『気』を纏ったそれらを振り回したことで、退魔師が放つ存在感が塗り潰されていた。そうとしか考えられない。
「狙っていた、のか…まさか」
「〝三日みつび納めて魔を散らし、秤に掛けて邪気を断て、真なる我が名解放せん!〟」
 刺さる天秤二刀が文言に共鳴し、大きく震動しながら溜め込んだ星光の力を振り上げる直刀柄鋤かなつきへ集束させる。
 天秤刀には攻撃援護の用途以外にも本来の役割として退魔師の呪力を貯蔵しておくタンクとしての意味もあった。
 それは強力な人外を相手取った場合において刃の威力を増幅させる為、あるいは退魔の奥義を放つ際の供給に用いられる。今がその後者に当たる。
 星辰の断罪。星々の加護を受け、悪しきを滅する浄化の秘技。魔に属する人外であれば必滅は免れないが、単純な威力としても並大抵の相手に即死を叩き込むくらいは造作も無い。加えて今は夜間、星の力を最大限扱える絶好の時間帯。
 直刀の刃渡りを何倍も超える白光が刀を覆う。対巨大人外をも想定した斬魔の太刀は旭とは違った方向で単体、群団どちらにも対応出来るものだ。
 ただしこれをたった一人に、それも特異家系とはいえ人間相手に振るうのは初めてのことだった。
 だからと言って手加減を覚える男でもなかったが。
「退魔師が、人外なんぞと…名が廃るぞ」
「うっせえ死ね」
 地表はすぐそこ。巨刀を落とす。慈悲はそもそも持ち合わせていない。
「〝退魔本式・絶晶ぜっしょう!!〟」
 民家や建物への配慮など微塵もなく、たった一人を殺す為にしてはあまりにも大きすぎる一刀が墜落した。



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「勝った?」
「勝った!」
「いや勝ってないですね」
 集合住宅の屋上に、響く地鳴りと噴煙にきゃっきゃとはしゃぐ二人の子供がいた。鏡に写したような同じ顔、同じ背格好の子らを諌めるように、青年は眼鏡に付着した埃を尖らせた唇から吐いた息で飛ばしつつ言う。
「しかしこれは中々どうして。思った以上に大健闘ではないですか。とっくに死に体か手遅れではないかと内心ひやひやしてましたが…」
「倒せる?」
「殺せる?」
 青年の両隣に立ってシャツの裾をぐいぐい引っ張る双子が交互に訊ねるも、返答に芳しい色は無い。
「どうでしょうね。相手は神格殺しの憑百琥庵。この程度で沈む相手であれば、私にも殺せそうですが……流石にそこまで甘くはないか」
 二人の頭を一撫でしで、男はカラカラと下駄を音高く鳴らしながら噴煙の昇る方角とは違う方へ顔を向ける。
「さて。ともかく仕事を果たすとしましょう。私はあちらへ向かいます、ちょうど憑百当主と陽向の次期当主が交戦しているようですし」
「じゃあうちらはあっち?」
「あっちってどっち?」
 互いに明後日の方向を指差す双子に苦笑して、青年は煙の立つ一点を視線で促す。
「あそこですよ。打ち合わせたのを忘れましたか?憑百琥庵は南へ、憑百珀理は北へ飛ばすと」
 そうしてようやく思い出したように掌を合わせて首肯する。
「うんうん」
「そうだったそうだった」
「では頼みますよ。私は私で、あの当主に伝えねばならないこともあるのでもう行きます。君らも彼らが死ぬ前にお願いしますね」
 同じタイミング、挙動でぐっと親指を立てて見せた二人に微笑んで、彼は屋上の鉄柵を蹴って跳ぶ。

 彼ら三人こそは陽向家の隠形結界を素通りして街に侵入してきた者達。そして人外ではなく、だとすればその正体は自ずと知れること。
「神門の当主様も人使いが荒い。…まぁ、彼に仕えることが我々のお役目なので文句は言えませんがね」
sage