一.ふつうのひと

 ――普通の目に産んであげられなくて、ゴメンね。
 時折、母はそう言って私の頭を撫でた。
 時折、というのはアトランダムにではない。それはたとえば、私が運動会で思うような成績を奮うことができなかったとき。それはたとえば、私が小学校から俯きがちに帰ってきたとき。またあるいは、上手く自転車に乗ることができずに転んでしまったとき。
 要するに母は、私の身に降りかかる全ての不幸をこの“目”に繋げたがるのだ。
 この、両目に。
 それをこうして声に出して発散することで、己の罪悪感を昇華させようとしている。あまつさえ、良き母を演じようとしている節すらある。要するに母は、阿呆なのだ。
「なにを、言うてますねん。他の人と違ったって、これはお母さんからもらった大切な目やで。それに、世間には目の見えない人だっておるんや。多少、目ェが斜めっとるくらいで文句言うてたらバチあたるわ」
 だから私は、母の“発作”が始まったときは必ずこの美しい母娘愛ごっこに付き合ってやることにしていた。決まって、少しふざけたくらいの関西弁で。
 なぜなら、私たちの家族は、これで上手く回っているのだ。
 母は私を不憫に想う。私はその気持ちを汲み、現状に感謝していることを声に出して伝えてやる。そうすることで母は満足する。家庭には常に微笑みが漂っている。夫婦仲だって、こんな厄介な娘を抱えた割には良好だ。
 すべて良好。オール、グリーン。
 こんな理想的な家庭環境を私ひとりのエゴでぶち壊すなんて、そちらの方がよほど大罪だ。だから私はなにも言わない。「いちいち目のことほざくなや!」なんて言わない。「気にしてんねん、こっちは!」なんて言わない。「したら、最初はなっからこんな目で産むなや!!」なんて、口が裂けたって言うはずがない。
 なぜなら、母は阿呆だから。
 私が一歩、いや二歩三歩、歩み寄ってやる必要がある。
 それが、福富家の暗黙のルール。誰にも悟られず、私ひとりで遵守している。私なりの、処世術。来月は十歳の誕生日。
 そもそもの話としてだ。
 大前提として、己の容姿を他人と比べることは、不毛だ。
 自分の方が美人だから、優越感に浸る。あの子の方が美人だから、嫉妬する。阿呆ではなかろうか。私は斜視であるが、物を見る感覚器としての機能は、まあ、完全無欠でないというだけで、日常生活に支障をきたすほどのものではない。ならば、私が斜視であることの欠点といえば、多少見てくれが不格好であるということだけではないか。――ここで、前提に立つ。己の容姿を他人と比較して一喜一憂することが、私が斜視であること以上にドロドロと醜い腐った感情であることは既に証明済みだ。であれば、私にとっての斜視など所詮、顔のパーツのひとつが他人ひとと違っているというだけの話だから、それによって一喜一憂することもまた至極愚かなことで、それを揶揄して面白がるクラスメイト阿呆共など、今この瞬間屠殺とさつされたとて誰一人悲しむことのないどころかむしろ空気の清浄化という観点から住みよい街づくりの一助となることは言うまでもないことなのである。
 たとえば、私の父は私立大学の教授である。
 このことが私にとって恵まれた環境を生み出していることなど、百も承知だ。ならば、どうする? たしかに、母が父以外の男性と結婚していれば、私が斜視で生まれてくることはなかったのかもしれない。だがその場合、父はコンビニバイトのフリーターだったかもしれない。ホームレスかもしれないし、ワイドショーを賑わせる殺人鬼だったかもしれない。世は巡り合わせ。私は、今の父と母が愛し合った結果が私なのだ。結果、父は人望厚き大学教授だった。家はちょっとした豪邸で、なんら不自由なく恵まれた暮らしを送らせてもらっている。そして私は斜視だった。ただ、それだけの話だ。

 十歳の誕生日を迎える少し前、私の三度目の転校が決まった。
 また母が発作を起こしたのであった。
 迂闊だった。黒のサインペンででかでかと『ナナ目おんな』と落書きされたノートを、無造作に部屋に放置してしまっていた。それを発見した母は烈火のごとく怒り狂った。学校に乗り込んで、教師一同を横一列に並べて土下座させたそばからこなれた手つきでお茶をぶっかけて回った、とはその場を目撃したクラスメイトの弁。多分に尾ひれがつきまくっているだろうことは想像に難くないが、あの母ならそれくらいしてもおかしくはない、と納得してしまえるところが我が母ながら恐ろしい。
 恐ろしいほどに、阿呆である。
 ならば逆に聞きたい。母はこのノートを見るまで、まさかとは思うが、私が今の学校でイジメられていないとでも思っていたのだろうか? むろん、なにをもって“イジメ”とするかはこのご時世、慎重な吟味が必要だ。しかし、私物に斜視を揶揄した悪口を書かれるくらいのことならば日常茶飯事だ。私がそれを上手く隠していたから母は現実から目を背けることができていただけで、暫定“イジメ”は常に起きていた。いや母とて、阿呆ではあるが頭が悪いわけではない。きっと、私がこの程度の“イジメ”に晒されていることくらい、察しはついていたのではないだろうか? それがたまたま露呈してしまったので、仕方なく、娘の危機に奮い立つ母を演じてみせた。本当は見て見ぬ振りを決め込みたいというのが本心だったのではないだろうか、と、私のこの歪んだ性格はいちいち裏を覗いた気にならなければ気が済まないらしい。
 私はひとつ、大きな溜息をついた。
 母の運転する車の後部座席で、ぐったりとランドセルにもたれかかる。今日から、新しい学校への登校が始まる。
 こんな風に、“イジメ”が発覚するたびに根城を替えていたのでは、やがて県内から未踏の小学校は消えてなくなっちまうよ……。そんな自虐的なことを考えながら、しかし私は、母の“美しい母娘愛”に最後まで付き合う決意を新たにした。これで、福富家は上手く回っているのだから。
 特になんの希望もない、形式だけの転入式。
 果たしてこの学校では、何ヶ月“もつ”だろうか。次に学年が上がるまで、私はひとつの学び舎に留まることが叶うであろうか。
 顔合わせの場では、果たしてどんなリアクションが待っているだろう。ただただ、おぞましい斜視に息を呑むばかりであろうか。ひとりくらいは「へんな目ー!」と騒ぎ出す阿呆ガキがいるであろうか。感極まった新米教師が己の道徳論を熱く語り出すであろうか。
 いずれにしても、どうでもよい。
 私はただひたすらに、福富家の一員として母の愛に応えるだけなのだから。
 がらがらと、教師の手によって教室の扉が開かれる。
「福富さん、入っておいで」
 私は必要以上に緊張することもなく、教師に促されるまま教室へと足を踏み入れた。瞬間――。今までに味わったことのない感覚が私を包む。過去の転校の“瞬間”とは、どこか違う。なにかが違う。なんだろう。私はその理由を探った。違和感の正体を追った。
 ひとまわり、さっと教室を見渡しただけで、私はすぐに違和感の正体に辿り着いた。
 ――そうか。皆、既に経験があるのだ。
 斜視の女の子が、私以外に、もうひとり。椅子に座って、微笑みながらこちらを見上げている。その、歪んだ瞳で。
『斜めってるのが、ふたり……』
 これは、私にとって初めての体験であった。
 それは、閃光のような衝撃。
 私と同じ目を抱えながら、その女は、ごく自然にクラスの中へと馴染んでいた。壇上に立つ私を見上げながら、隣の席の男子となにやら言葉を交わして微笑んでいる。その様はまるで、友達。まるで、普通のクラスメイト。
「福富……、美子よしこです」
 教師に促され、私はたどたどしく名乗った。その瞬間、一斉に湧き上がる拍手。万雷。喝采。むろん、こういったときにはきちんと拍手をするように、というのは大人から散々仕込まれてはいるだろう。しかし少なくとも、彼らの表情からは“嫌々やらされている”といったネガティブな感情は感じられない。そう、その混じり気のない拍手はまるで、まるで、私のことを歓迎でもしているかのようだ。
「父の……仕事の関係で、転校してきました。これから、よろしくお願いします」
 そのとき、その場で自分がなにを話したか、後から振り返ってもまったく覚えてはいなかった。ともかく、私の中を埋め尽くしていたのは、真っ赤に燃え上がるような激情。それが一体、どこから来るものなのかはわからない。悔しいのか、恥ずかしいのか、羨ましいのか、恨めしいのか。行き場のない暴発は私の体内で渦を巻いて、脈を打って、そして、胸の奥底に黒いものをすとんと落とした。
 理解しては、いた。私がどれだけ物知り顔で人生論を語ってみても、そんなものは所詮、己が斜視であることからくる“負け惜しみ”だということくらい。私はこれまで、同年代の連中など阿呆の群れだと見下していた。いや、見下していると思い込んでいた。けれども、理解している。わきまえている。私が彼らと同じ土俵に立てぬのは、私が彼らを見下しているからではない。彼らが、私を見下しているからなのだと。どれだけ蓋をしても覆いきれない劣等感。見て見ぬ振りをしても誤魔化しきれない劣弱意識。それらを彼らへの批判に変換して、己を正当化していたに過ぎない。
 だけども、いた。
 私と同じ土俵に立つ女。澄ました顔で佇んでいる。私は、己の中に“怪物”が育つのを感じていた。暗い奥底から右手を伸ばし、よじ登ってくる。どれだけ抑えつけようとも、もはやどうにもならない。
 ――これが、嫉妬。
 あの女にだけは、負けたくない。
 私の中に芽を出した“怪物”は女の一挙手一投足を目で追った。
 女は、名を嶋内恵美子と言った。嶋内恵美子はとにかくよく笑う女であった。その度合いたるや“箸が転がっても面白い”を地でいくような笑い上戸であるからして、教室には常に嶋内恵美子の笑い声が揺蕩っていた。それは私にとってはただただひたすら耳障りな雑音であったが、どうやらここのクラスの連中にとっては違うらしい。嶋内恵美子が笑うと、それは周囲の人間にも面白いくらいに伝播した。元来“笑顔”にはそういった性質があることを差し引いても――、嶋内恵美子のそれにはひときわその力が備わっているようであった。
 なるほどたしかに、自身のこれまでを振り返ってみると私が笑い上戸な人間であるとは口が裂けても言えない。学校にいても楽しいことなどなにひとつないのだからこれは私ひとりの責任とは言い難いが、嶋内恵美子の立ち回りを見ていると、それも必要なひとつの処世術であるように思えてきていた。
 ひとりきりの女子トイレで、私は鏡に向かって笑顔を作った。
 瞬間――。頭で考えるより早く、私は反射的に鏡から目を逸らしていた。そこに映っていたのは、醜い化物。作り物の笑み。ぎこちない口元、鏡を見ようとする半目の斜視。それはおおよそ直視に耐えうるものではなく、私は二度とは練習を繰り返す気にはなれなかった。それほどに凄惨なおぞましさであった。
 私は今度は、真顔で鏡の中の自分を直視した。
「この顔が悪いんか……?」
 右手で、鏡に映った私を撫でる。
 客観的に見て、私はブスではない。むしろ目以外のパーツに限って言えば、かなり整った顔立ちをしている。木を隠すならば森の中。“不細工斜視”を隠すならば、ブスの中。つまりはそういうことなのだろうか。嶋内恵美子は目以外のパーツについても決して褒められたものではない。大きな鼻に腫れぼったい唇。仮に斜視でなかったとしても先行き暗い人生であったことは必至だが、けれどもそのおかげで、斜視であることの印象も薄いような気がする。たとえば、悪意の第三者が嶋内恵美子にあだ名をつけようとした場合、斜視、豚鼻、タラコ唇と、その品揃えは多様性に富んでいる。しかし私の場合、ウィークポイントと言えば斜視であることくらいしかないから、悪意がそこに集中する。その結果がこれまでの悪目立ちなのだろうか。
 ……ふと、言葉の由来に想いを馳せてみることがある。“ブサイク”とは正しくは“不細工”で、元々は工芸品などの手落ちを指す言葉であったのが、転じて顔の良し悪しを嘲笑する言葉になった。私の顔などはまさに、“ブサイク”ではなくこの“不細工”にあたるのだろう、と鏡に映る自分を見ながら他人事のように苦笑した。不良品と呼ぶにはあまりにも醜い、惨めな手落ち。私は一生、“不細工”という呪いをこの顔に背負って生きていく。
 しかし、同じ呪いを背負っているはずの嶋内恵美子は他の人間と同じように笑顔でクラスに溶け込んでいる。考えれば考えるほど、腸が煮えくり返る思いであった。嶋内恵美子には負けられない。私は、嶋内恵美子より“上”でなければならない。あるいは、嶋内恵美子にも私と同じように暗く淀んだ学校生活を送ってもらうかだ。でなければ、それは私の存在を否定されることと同じだからだ。嶋内恵美子が笑顔でいる限り、私の人生が上手く回っていないのは、斜視が悪いのではなく、私自身に問題があるのだと解釈せざるをえなくなる。“嶋内さんを見てごらん? あんなに楽しそうにしているじゃない”。そんな風に説教を垂れる大人の、熱血教師気取りな物知り顔を想像しただけで吐き気がした。――許せない。少なくとも私の目の届く範囲では、斜視を持った人間は一人残らず不幸でなければならない。
「嶋内さんって、どんな子ォなん?」
 転校3日目。私は、嶋内恵美子について聞き取り調査を開始した。やはり評判は上々。誰も彼もが、嶋内恵美子の長所を嬉しそうに語る。優しい。明るい。よく笑う。私に向かって嶋内恵美子の欠点を語る者はひとりもおらず、むろん、斜視の“斜”の字も彼らの口から出ることはなかった。なるほど、外面のよきことは政治家顔負けのレベルであるらしい。
 聞き取り調査を続ける中で、嶋内恵美子について知れば知るほど、彼女についての疑問は次から次へと湯水のように湧いてきた。果たして彼女は斜視だから善人なのか、善人だから斜視を苦にしないのか。イジメの被害者になったことは過去一度もないのか? 家庭環境は? 趣味は? 休日の過ごし方は? ――考えているうちに私は、ふと我に返り苦笑した。
 これまでの人生の中で、これほどまでに他人に興味を持ったことなど、一度もなかった。
 聞き取り調査にしたってそうだ。あれほどクラスメイトに声をかけて回るというのも、これまでの私からは到底考えられなかった。前の学校の教師連中が見たら目を丸くしてひっくり返るかもしれない。くくくっ、と笑みが漏れる。これが、嫉妬心。嫉妬からくるエネルギー。私は自身の嫉妬心に、あるいはそこからくるエネルギーに無限の可能性を見た。今ならなんだってできる気がした。嫉妬心というものは、かくも人を突き動かすのか。
「いま……私、すごく生きてるって感じがする」
 人生最高の充実感。嶋内恵美子を憎むことには得も言われぬ充足感が伴った。私の中に溜まっていた負のエネルギーたちがいま、嶋内恵美子という行き場を得て喜び跳ねている。母では不足だった。これまでのクラスメイトたちでも不足だった。同じ呪いを抱えた嶋内恵美子だから、こそ……。私は、全身全霊を懸けて嫌悪することができていた。
 そして、5日目。嶋内恵美子が好意を寄せているという男子生徒の存在を知った。
 嶋内恵美子は、勝谷良平という男に恋をしていた。
 なるほど、たしかに、というところである。ある時はサッカークラブの中心的存在。またある時は、クラスをまとめる学級委員。そしておまけにその風貌はタレント顔負けというのだから、少女漫画の花形をそのまま三次元に引っ張ってきたかのような存在である。
 私は嶋内恵美子を心の底から侮蔑した。
 分をわきまえていないとかいう次元を超えている。月とすっぽん、雲泥の差、提灯に釣り鐘……。恋は人を盲目にして、そしてその盲目は己にも向くらしい。もしも私が嶋内恵美子なら、勝谷良平には恋をしない。少なくとも、そのことを口外はしない。決して。“勝谷良平に恋をしている自分”を果たして周囲がどんな目で見るか、少しも考えたことはないのだろうか。哀れみ、中傷、嘲笑。少なくともこの私は、そのすべてを抱いている。
 ひとまず私は、まかり間違っても嶋内恵美子の恋が成就することはないであろうことに安堵した。そしてもし、私が勝谷良平と結ばれることができれば、それは一体どれほど愉快なことか――。目を丸くして悔しがる嶋内恵美子の顔を思い浮かべただけで、武者震いに頬が痺れた。
 思い立ったが吉日。その日の放課後、私は勝谷良平に愛を告白した。
 人は誰しも、見返りを求めて愛を語る。それはたとえば、安定した生活。たとえば、名声。あるいは、男前の旦那と肩を並べて周囲の羨望を浴びたいと考えるのも、そう。古今東西、人類の歴史上語られてきたすべての“愛”は、見返りを求めた先の打算でしかない。そして、求める見返りは人それぞれ違うのであって、たとえばそれが“幸せな家庭を築きたい”だとか“可愛くて明るい女の子と一緒にいたい”だとかいう場合に、“純愛”と称される傾向が強いというだけの話だ。だから、“嶋内恵美子の不幸”が見たいがために勝谷良平と結ばれたいと願う私のこの想望もまた、紛れもないひとつの恋の形であって、これは、一世一代の愛の告白なのである。
 しかしながら、その一世一代の告白はあっけなく散った。勝谷良平いわく、「好きな子がいる」とのこと。
 結果は想定内、期待は大外れ。
 はっきり言って、これだけのことで私はすでに万策尽きていた。嶋内恵美子から勝谷良平を奪うという結末に辿り着くには、『告白』をして『両想いになる』というたったひとつのルートしか思い浮かべずにいた。
 ……どうして、私はフラれたのだろう……。
 綺麗な顔をしている。手足はすらりと伸びて、腰の位置はクラスの誰よりも高い。頭がいいのも二言三言交わしただけで充分察せられるだろう。客観的に見て、このクラスの誰よりも私は女性として完成されているはずだ。
 ――だけど、斜視。
 遺憾であった。勝谷良平は、私の女性としての魅力を正しく評価できていない。“斜視”の一点にのみ捉われて、最初っから他の魅力には目を向けようともしていない。本来、もっと葛藤があってもいいはずだ。他に好きな子がいたとしても、その恋が成就するかは分からない。ならば、降って湧いた告白に甘んじてもいいはずだ。少なくとも、そういった考えが頭をぎりはするはずだ。もしも私が、普通の目をしていたならば。
 だらりと垂れたこうべから、長い黒髪がだらりと揺れる。暖簾のれんのような黒髪は私の表情を隠し――、その隙間から、戸惑う勝谷良平の顔が断片的に見えている。唇を噛む口元が震えた。
「この目が悪いんか……?」
sage