愉快なお話を(でも、聞いていなかった)

21.愉快なお話を(でも、聞いていなかった)

仕事だとかなにかの受け付けだとか以外で、数ヶ月ぶりくらいに初対面の人と話をした。
「好きな映画はなに?」と聞かれたので、しばらく考えて「黒澤明の生きる、でしょうか。あと、マイナーだと思うけどヤン・シュバンクマイエルのアリスとかですね」と答えたら、変な顔をされた。
そのあとも色んな話をしていたけれども、あまり会話らしい会話にならなかった。

「じゃあ、好きな音楽とかはどんなの?やっぱり××(知らないバンドか何か)とか?」
「えーと、ソフトマシーンってサイケとジャズとロックの合いの子みたいのだとか、マウスオンマーズってテクノっていうか、実験音楽みたいなのをよく聴きます」
「うーん、なんかよくわからないけど、どんな感じなの?」
「えー、なんていうか、ぐにゃぐにゃーって感じっていうか、ごちゃーっていうか。うーん、自分でもよくわからないですね」
「はあ」
終始こんな感じ。これで2時間近く過ごしていたんだから、自分を褒めてあげたい。相手の人も褒めたい。

あまり嘘や偽りなく自分を出してしまうと、なかなか相容れることはない。
それでも、なぜだか向こうが気をつかって、自分のことを理解しようなんてそぶりを見せてると大変だ。こっちも気をつかって色んな話をしなきゃいけないし、相手の言ってることはよく分かんないし、多分相手も自分の言ってることをわかっていない。
自分の胸のあたりにある大きな引き出しの中には、マイナーな音楽の話題と哲学の話題がぎっちり詰まっている。それ以外の、肘とか頰とかにある小さな、でも色んなところにたくさんある引き出しを開けてみると、ゴミやがらくたか、あるいは何も入っていなかったりする。

多分本当の会話っていうのは、お互いの流れの中で無意識に成り立つようなものなんだろう。けど、自分にはそれがなかなかに難しい。
誰かと何か話す必要があるって時には、事前に下調べをしたり、相手の反応を見て頭の中でいくつかの選択肢を考えながら話すから一応会話にはなるけど、とてもとても疲れる。
お互いに無関心で、話をぽつりぽつりするだけっていうのが一番いい。溶けるように、適当に何も考えず、ただ思いつくままに。ただ、それは壁に向かって話すのとなにが違うのだろう?
自分はなにかを考えすぎなのだろうか、あるいは、なにも考えていなさすぎるのだろうか。他人になれないから、自分にはわからない。解けない謎は、解けないまま放っておくべきだ。
問題は、それが本当に解けない謎なのか、ということだけれども。