誰かのためと自分のための警句

7.誰かのためと自分のための警句

自分が誰かと話すのは、きっと自分がその人に嫌われていないか確かめるためだ。その誰かはニコニコと笑いながら当たり障りのない返事を返してくれる。でも、言葉や態度の裏側で、とてもひどいことを考えているとしたら、自分はいったい全体どんな態度をその人に対して、世界に対してすればいいんだろう?

酔っ払っていることの利点は、そんな、考えるほどに意味がなく虚しいことを忘れられるってことなのだと思う。自分なんてものはポストモダン的には存在するのかしないのかあやふやなものだし、思弁的実在論的には考えられないほどに大きく長い時間の流れを紡いできた宇宙の中の一つの点だ。
それでも、自分はここにいる。特に二日酔いの朝には紛れもなく実存している。

そんなことを考えていると、朝を通り越して夕暮れが顔を出し、いつの間にか真っ暗になって太陽が街を照らしはじめる。まったく無意味なことだと思う。これなら、散歩しながら誰かに話しかけたり喧嘩を売ったり物乞いしたりツバを吐いたり寝そべったり何もしない方が全然いい。書を捨て、思想を捨て、理性を捨てて、街に出よう。

そうして今、見知らぬ公園のベンチで寝ている。少し振り向けばビルの崖。街街の谷が立ち並ぶ。空に浮かぼうと思えばそこかしこに。目を凝らせば薔薇の花が、つるを伸ばすのは何のため?