ありきたりな格言だけれども

5.ありきたりな格言だけれども

ビルとビルをつなぐ階段に腰を下ろして、そこから街を見下ろしていると色んな人がいることに気づく。この街には変な人が多いし、自分みたいなアル中もたくさんいるんだろう。柱にぶつかりながら歩いている、あのおじさんなんて間違いなくそうだ。その後ろの方の、馬に踏まれそうになったおじさんも間違いなくそうだ。まだまだ楽観的であるべきなのかもしれない。そんなふうに自分を慰めても一文の得にもならないけれど。

思うに、お医者さんが言うところの問題のある飲酒をする人は、3つの段階を辿っていると思う。最初は、享楽としての飲酒で、その次が逃避としての飲酒。最後に、逃避していることすら忘れるために飲むワケだ。『星の王子さま』で酔っ払いがすでに忘れた事を忘れるためにお酒を飲んでいたけれども、そんな感じじゃないだろうか。何のために飲んでいたのか分からなくなるまで飲むというのは理想ではある。自分の理想はハイヤームでありブコウスキー。あくまで悲観的に、でもその悲惨さを忘れるため楽観的に飲むべきだと思う。

少し歩いて、木陰で休む。木陰で休みながら、飲む。また少し歩く。その繰り返し。どこかの絶望が自分に降ってきて、さらに他の人の肩にのしかかる。エネルギー保存の法則ってやつだ。よくわからないけど、きっと世の中はそんな風にできている。

弁証法が自分と自分の下部構造にある歴史性に対してのしかかってくる。そんなものはまったく必要なく、自分はとにかく自分だ。この世界で自分はこうやって生きている。空には海が広がり、陸の海に爽やかな風が吹く。スコールが全てを流し尽くし、生命の躍動。エラン・ヴィタールはかしこに。それでは、
sage