雨宮篝:親離れのプロシージャ

 バルジはぐんぐん成長する。
 背丈はあたしを追い越して、胸はどどんと、腰はきゅきゅっと、お尻はばばーんとクソ生意気に。
 料理の腕は何故かプロ並み。窯もないのに完璧にピザを焼き上げるし、小麦粉を渡せば濃厚なビーフシチューの出来上がり。
 運動神経も抜群で、いくら走っても息切れしないし、一体どこで習ったのやら数々の護身術を実践レベルで使いこなす。
 放っておけば勝手にお金を稼いで来るし、徹夜で書き上げたとかいう英語の論文が早くも海外の有名雑誌に掲載されたとか。
「いや、もうさ、バルジ、独りで生きていけるんじゃないの?」
 と、あたし。
 至極尤もな疑問を呈したところ、
「やだ! ママがいなきゃ、わたし生きていけない!」
 と、バルジは子供みたいに泣きすがる。
 正直、ちょっと面倒くさいなって思い始めてきた。無条件にあたしを愛してくれるところは可愛いけど、天使からも悪魔からも「馬が合わん」て嫌われてるし。
 家主的には居候間のトラブルは自分たちで解決してって感じなんだけど、天使と悪魔は基本的に捕食される側だし、個人的な感情としても段々とふたり側に傾いてきてるのを感じてるところ。
 とはいえ、この家にバルジを連れてきて育てちゃったのはあたしだし、今更どっか行ってとも言いづらくて。
 結局バルジはいつもあたしにべったりぺっとり。天使は実に不愉快そうな顔をしながら洗濯機のなかに閉じこもって、悪魔はわざわざ隣町のスーパーまで買い出しに出掛けてく。
 だから、雨宮宅はちょっぴりばかりがらーんとしていて。
 時計の針は午前十時。
 学校はとっくのとうに始まってる。
 ていうか、夏休みが終わったのって、何日前のことだったっけ。
 一緒に行こうと誘われたら渋々ながらも頷いてあげる腹づもりだったのに、いつまで経っても真昼の姿は影さえ見えないから。
 ひょっとして、これは怒っているのかな、とか。
 ひょっとして、あたしの存在、すっかりどっかで忘れてない? とか。
 ひょっとして、篝がいないから気楽~とか思っちゃったりしてないよね? とか。
 余計なことまで考えちゃって、なんだかすごく苛々しちゃって、とってもとってもそわそわしちゃって。
 居ても立ってもいられなくなる。
「あたし、今日は学校……行ってこようかな」
 ぽつり呟き、腰を沈めていたソファからゆらりふわりと立ち上がる、と。
「……ママ、お外に出るの?」
 と、あたしの隣に座っていたバルジにむんずと服を鷲づかみにされる。
「まあ、学校って外にあるから」
 そういうことになりますね。
「じゃあ、わたしもいっしょに行く!」
「ああ」
 あたしは相槌とも肯定とも感嘆ともとれぬ曖昧な言葉をぽぽんと発し。
「――いや、ダメダメ。バルジはお留守番。うちの学校、セキュリティすんごい厳しいから」
 勝手に連れてなんて行けないよ。
 そう言うと、バルジはお目々をうるうる、横隔膜をひくひく動かし、
「やだあああああああああああああああああああああああああああ!」
 叫ぶ。
 窓ガラスがぱりーんと割れる。
 あたしの鼓膜は予め装着していた耳栓に守られたけど、ぴょーんと飛び跳ねてきたバルジに身体を押し倒されて、
「やだ、やだ、やだ! わたし、ママといっしょがいい! ママといっしょに行くの!」
「バルジの気持ちは……分かるけど、無理なもんは無理だから」
「いくったら行くんだもん! ママといっしょに行くー!」
 工事現場からチャってきた騒音表示装置の数値がぐんぐんと上昇していく。それと同時に、あたしの苛々メーターも魔法の豆の木みたいに空まで伸びて、
「ちっ」
 と、舌打ち。
「そんなにひとりが嫌なら、天使が洗濯機のなかに隠れてるから、あの子に遊んでもらいなよ」
「やだ! あいつ、嫌いだ! なんかい食べてもなくなんないし、全然美味しくないんだもん!」
 すっかり食糧だと思われてるみたい。確かに、どんだけ噛んでもなくならないから、あたしはガムが嫌い。あれを飲み込んだせいで、何度病院のお世話になったことだかわかんないから。
「ねえ、バルジ――」
「独りにしないで! ママのそばにいたいの! ずっと、ずっとずっと、いっしょなんだから!」
「――怒るよ」
 びくっ、と。
 バルジの身体があたしから離れる。
 怯えたように、後ずさりをして。
 その表情が、ふとして怒りの歪みを帯びる。
「なんで、そんなこと言うの。……わたしには、ママしかいないのに。ママがいなきゃ生きていけないのに!」
 あー、はいはい、始まった。
 誰それがいなきゃ生きていけない。
 よく聞く台詞。陳腐な感傷。あたしの嫌いなメロドラマ。
 別に、生きてくのに必要なものなんて、数えるほどもないでしょ。もちろん、それがないと無味乾燥な人生になるって言うなら敢えて否定はしないけど。
 本当の本当に必要なものなんて、非常用持出袋のなかに全部詰まってるから見てきなよ。
 その間に、あたしは学校に行ってくるから。
 帰ってきたら、冷静になった頭で、これからどうやって生きていくつもりなのかだけ教えて。後は勝手に出てっていいよ。
 もしも、それでもまだ、あたしが必要だとか世迷い言ほざくなら。
「バルジの脳みそ、ぎゅーってするからね」
「そんなの、やだ」
「……あれもやだ、これもやだって、……あんたは真昼か!」
「ママ、おかしいよ。そんなこと、言うなんて。……変。学校のお話が出てから、急に――おかしくなった。学校が、ママを壊してる。壊してるんだ。やだ、……嫌だ、やだ。ママを、失いたくない。わたしが、ママを守る! わたしが、学校を壊す!」
「おーまいごっど」
 とんでもない飛躍論理で世界記録間違いなしのバルジは拳ひとつで玄関の扉をはじき飛ばすと、背中ににょきにょきとなんかきんもい翼を生やしてきらーんとばかりに飛び去っていく。
 残されたあたしは、「あーあ」って感じで目許を覆う。
 そしてよそ行きの服に着替えて天使の閉じこもってる洗濯機をスイッチオンして、まずはクリーニングに出した制服を取りに向かうことにした。