01話:10年目の蝶

01 異世界に行って帰ってきたからその時の話書いてく01.txt - メモ帳

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 神隠しという現象を知っているだろうか。人が突然居なくなるという意味で、古来から誘拐や行方不明者などを説明するために用いられてきたと現代では信じられている。でも、神隠しに遭って戻ってきた人間なんてほとんど居ないのに、どうして本当に別世界に行っていないと断言できる?
 もう10年前のことになるが、俺は神隠しに遭った。そこは不思議な世界で、俺はそこでとんでもない大冒険をするハメになった。その間のことは今でもハッキリ覚えているが、こっちの世界に戻ってきてから色々ゴタゴタがあって今まで公言できなかった。今年でちょうど10年になるし、俺もいいオッサンになったから、記念ってんじゃないけど体験談書いてく。

「書き出しはこんなで良いかな…」

 俺は咥えていたタバコを肺いっぱい吸い込み、書きかけの文書を保存するとラップトップを閉じた。タバコを灰皿にねじ込んで、ハイボール缶の残りを一気に流し込むとベッドに倒れ込む。
 ようは、さっきまで書いてたのは小説じゃない。どのくらい脚色するかは迷ってるところだが大筋は真実で、つまり俺は本当に神隠しに遭った。
 タバコの煙で霞んだ部屋を橙色の常夜灯だけが照らす。白い煙の渦は天井の闇に混ざり、意識も暗闇に溶けていった。




 「次はァ~船堀、船堀ィ~。お降りの方はお荷物ぅお忘れ物など」

 車掌の間延びした鼻声が、窓から水平に指してくる冬の朝日が、中年オフィスレディの香水の臭気が、あるいは21世紀にもなって満員電車で新聞を広げて読んでいるジジイの両手もすべてが俺の邪魔をする。俺はただゆったり通勤したいだけなのに、この世界には人間が多すぎる。誰かが言った「唯一完璧な世界があるとすればそれは人間のいない世界だけだ」という言葉を俺は噛み締めた。

 おそらく自己紹介が必要だろう。俺の名前は米内康太(よねうち こうた)。昨日はオッサンだと書いたが、まだ27だ。都内で物流関係の小さな会社に務め、夜は誰も待ってない小汚いアパートで寝る。仕事熱心でもなく、趣味があるわけでもない、付き合ってる女もいないただの男だ。おっと、自己紹介は必要なかったかな?

 満員の車両のドアが開くと、寒々としたコンクリート打ちのプラットホームに押し出される。厚着した人々はドアから改札まで一斉に、一直線に流れていく。その動きは人波というよりも昆虫の群生を連想する。彼らは何も見ていないし考えていない。この瞬間彼らはヒト、考える生き物ではなくなっている。

 俺について自分から話す価値がある事柄があるとすれば、それは10年前のことをおいて他にない。神隠し、あるいは今風に異世界召喚と言ってもいい。その時17歳だった俺は突然別世界に召喚され、魔族の軍勢を前に滅びかかっていた世界を救うことを強要された。そして救ってみせた。その後の顛末はこの目では見ていないが、少なくとも魔族の王は倒した。最愛の人を犠牲にしてまで。




 「えー本日は11月末日であり、明日からは師走ですので末締めや年末調整、あるいは客先への挨拶など何かと忙しくなります。また会社のほうでは本年を最後に引退なさる方のための送…」

 総務課長が繋がりのない話を延々としている。朝礼の恒例行事だが、あの人の長話は痴呆の兆候ではないかと思う。それだけなら別にいいが、給料の出ない30分前出勤を強いられてまで聞く話ではない。もっとも俺は、自主的に30分早く退社しているので文句を言う筋合いではない。

 ところで今俺はここに居る。つまり異世界に行って、またこっちの世界に戻ってきた訳だ。そう忘れもしない、魔族の王の心臓に剣を突き立て、とどめを刺したその時だった。今際の際を見届ける暇もなく俺はこの世界に戻されてしまった。もちろん当時は帰ってこれた事を感謝した。両親や犬や…まぁそれくらいか、大切な人々と再開できて本当に嬉しかった。でも本当に大変だったのはそこからだった。俺が異世界でした冒険の苦労を全部集めても、帰ってきた後の数年にした苦労には及ばないだろう。




 「ご注文のメロンソーダフロートです」

 フリフリした服装のウェイトレスが愛想良さげに注文を届けにきた。妙齢な感じだが童顔で可愛いので、つい何度も注文してしまう。ウェイトレスは大きなお尻をフリフリさせながら厨房のほうに戻っていく。
 まだ10時前だが、客先を一社回った俺は昼休憩に喫茶店に入っていた。ここにはよく、というかほぼ毎日来る。本社から離れてて同僚はまず来ないし、いつ来てもガラガラでゆったりできるし、ウェイトレスは可愛い。

 どこまで話したか。そう、帰ってきた後の話か。俺はこの世界に戻された後、平穏を得るどころか大変な苦労を背負い込むことになる。その原因の大半は俺の――

「ジリリリリーー!」

 電話の着信音が薄暗い店内に響く。音源は俺の尻ポケット。会社から呼び出しか?俺はスマートフォンを取り出すとすぐに応答の表示をタップする。

「もしもしコーくん?ママだけど。今週末帰ってきて欲しいのよ。ほら中学生の時のクラスメイトの可奈子ちゃんって居たでしょ。さっきあの子のお母さんと――」

 1m離れていても通話の内容が聞こえるような大声。電話の相手は母だった。

「ちょ、母さん!?悪いんだけど今仕事中で」
「あらそう?でも大事な話でね、可奈子ちゃんのお母さんに今日中に返事するって言っちゃったのよ。顔出すだけでもいいから今週末帰って来てよ」
「は?ちょっと待ってそれってお見合いの話?いやいやいや、俺今東京だよ?そんな急に帰省できないし、今ちょっと忙しいからまた夕方頃かけ直すよ!」
「出るってことで返事しちゃうわよ!いい――ブツッ」

 異世界から戻った俺の苦労の原因になったのが、この母だった。
 10年前、17歳の時に異世界に連れて行かれてからこちらに戻ってくるまで、厳密に日数を数えていた訳ではなかったが、体感ではせいぜい3週間だった。それでも俺にとっては人生最長の3週間だった訳だが、現実ではその間に1年が経過していた。
 母は元々はふつうの人だった。少々乱雑なところはあったが、少なくとも俺は近くに居て苦痛を感じるようなことは無かった。ところが俺が戻ってからというもの、母は一時も俺から目を離さそうとしなくなった。戻って数年のうちなどは俺が一人で外出しようものなら腕ずくで俺を止めたし、高校への復学も認めたくなかったようだった。今にして思えばあの頃の母はノイローゼになっていたんだろう。そんなふうに毎日監視されて、あるいは閉じ込められているような雰囲気が俺はたまらなく嫌だった。だからしょっちゅう家を飛び出していたし、地元の大学を出て都内に就職を探したのだって遠因は母の存在があった。
 もちろん母の気持ちは分かる。自分の子供が一年間も消えて、そのうえ異世界だ何だと訳の分からない事を言っていたら誰だって気を病む。でも理解できることと賛同できることは別だ。




「りんかいFMアニソンアワー、続いてはお便りコーナーです」

 国道と首都高インターが交わる五差路交差点で信号待ちをしていると、正面の鉄道高架橋ごしに傾き始めた西日がフロントに直に差し込んでくる。俺は遮光板を下ろすとハンドルから手をおろし、タバコに火をつけた。ここはいつも混む。

「和歌山県にお住まいの有末有子さんからのお便りです。お便りありがとうございまーす。」

 森なんたらという古参のアイドル声優が番組宛てのメールを読み上げるのに、俺はしばし聞き入る。信号は赤いままで、他にすることもない。
 
「私は仕事が忙しく、毎日朝早くから夜遅くまで働き通しですが、それでもヒロたんの声を聞いていると疲れが吹き飛びます!あーあ、こんな世界とはさっさとおさらばして、どっか別のアニメみたいな世界に行けたらなー笑。そうしたらヒロたんも一緒に来てくださいね!…有末さん、お便りありがとうございました。いやぁ、こう言って頂けると自分としても」

 俺はタバコを肺いっぱい吹かすと、赤いままの信号めがけて煙を吹きかけた。煙はフロントガラスで遮られ車内に充満する。白煙は西日を浴びて車内と俺を橙色に染める。
 遠くから救急車のサイレン音が近づいてくるのが聞こえる。信号待ちだと思っていたが、ひょっとして先頭付近で事故でも起こっているのかもしれない。俺と同じ考えのドライバーが車から顔を出して前を伺っている。俺も列の先を確認しようと窓から頭を出すと、後方からププーというクラクションを浴びせられる。急いで頭を引っ込めると、間髪入れずに車のすぐ横をバイクが通過していく。バイカーめ!

 母の事を話したが、それは俺が感じた苦しみのうちの一部でしかない。比重から言えば母がダントツトップだが、実際は他にも厄介事があった。そう例えば戻って最初の一ヶ月、俺は病院にぶち込まれていた。というのもこの世界に戻った直後、俺は愚かにも異世界での体験をそのまま周囲に話してしまったのだ。つまり、剣と魔法の世界で魔族と戦い、魔王を打倒し滅びかけた世界を救ったと。周囲は俺を精神的な錯乱状態だと見なした。異世界で過ごした最後の数時間で経験したいくつもの出来事によって取り乱していたのは事実だが、まことに心外な話だ。

 10分ほど経って車列はようやく動き出した。交差点には細かいガラス片がまだ残っていて、事故の痕跡をとどめている。車同士の接触だったらしい。ふと見ると、ついさっき俺の脇を抜けていったバイカーがバイクを路肩に止めて警察と話している。どうやら通り抜けを見咎められたらしい。俺は車内で一人なのを良いことに、腹の底からこみ上げてくるまま高笑いした。

 また、警察の努力が俺の主張から信憑性を奪ってもいた。俺が異世界に居た三週間、現実では一年の間に俺は異世界で過ごしていたのだから、現実で目撃などされるはずがないのだけれど、優秀な日本のお巡りさんは日本各地で俺の目撃報告を集めていた。もちろんすべて見間違いなのだが、それでも東京、岡山、鹿児島と一見して南下していると分かる順番で誤情報を集めていたもので、失踪中の俺の足取りは殆ど完璧に推測されていた。お前は一年かけて徒歩で九州まで行って、東北地方の実家まで帰ってきたのだと説明されて素直にハイと言う奴はいないだろう。だからと言って自分の冒険譚を素直に受け入れられるとも思っていなかったが、このニセ情報は自分の主張をする上で限りなく不利に働いた。
 結論から言えば、警察の立てた仮説を認める他に俺が日常を取り戻す方法は無かった。この時期は病院や警察で自分のとりとめない冒険譚を語ることに疲れ始めていた頃合いで、自分でも本当は冒険などなく、1年間日本中をぶらぶら歩いていたのだと思い始めていた。びっくりするだろうが、人間の認識などというのはこんなものなのだ。仮に絶対の真実であったとしても、自分以外の誰もが違うと言う事を違わないと言い通せる人間は多くないはずだ。特に真実をつき通すメリットがない時はそうだろう。俺はそうだった。
 病院から釈放され学校に戻った俺は「軽度の脳障害によって失踪した前科がある少年」として、1年下の学級に編入されかろうじて卒業にごじつけたのだった。この頃の事はあまり覚えていない。1年未満だったし、半分も出席しなかった。きっとクラスでは浮いていただろう。それから大学に入り、新卒で今の会社に入って現在に至る訳だ。




「あ、米内さんお疲れ様でーす」
「うん、お疲れ様ー」

 会社に戻ったのは17時半をやや過ぎた頃だった。駐車場に営業車を駐めて通用口に向かう途中、帰宅する社員たちとすれ違う。事故渋滞のさえなければもっと早くに直帰にできたものを。

「あ、米内くん!ちょうどよかった」

 社屋に入るや総務部長がドタドタ駆け寄ってくる。タイムカードを切って帰ろうと思っていたのに、このタイミングで仕事を押し付けられるのは最悪だ。

「いえ、ダメです。ちょうどよくないです」
「まだ何も言ってないんだけど…」

 結局仕事を押し付けられてしまった。仕事と言っても書類束をシュレッダーにかけるだけだが、何で総務の課員が帰る前にやらせておかないのか。押し付けた当人は社外の用で出ていってしまうし、なんだか損な気がする。

 大学に入った頃、自分はある考えにとりつかれるようになる。それは今のように仕事をしていても、あるいは誰かと話したり遊んでいても強く頭について離れなかった。
 それまでの俺は今いる現実こそ本来の世界であり、俺が連れて行かれた異世界は特殊な、あるいは俺にとってイレギュラーな世界だと考えていた。だが気付くと俺の頭の中に、それは逆ではないかという疑問があった。つまり、俺が本来居るべきは向こう側、異世界なのではないかという考えだ。
 こういう考えに自分が至った事については、当時からある程度自分自身で納得を得ていた。当時の自分を振り返って見ると(今がそうでないという意味ではないが!)ぜんぜんパッとしない学生だった。失踪事件で事実上の1留をして交友関係がリセットされ孤立していたことや、母親からの抑圧をうけていたこと、あるいはある人との別れを引きずっていたのもあるが、異世界に居た頃との輝かしい業績と比較した時の自分の現状を素直に受け入れられていなかったのだろう。ということまでは当時から察しがついていたのだが、こういうものは原因が分かったところで改まらない。むしろ歳を重ね、自身の人生の評価が確定していくにつれこの考えは強まっていった。我ながら情けないと思うが、言わせてもらえば比較対象が悪い。あの時の俺は世界を救うと予言されし勇者で剣の達人、加えて天賦の才で殆どの魔法は通用しない歩く最強だったのだ。ほとんど俺一人で魔王の軍勢と戦い、たった二人で多く幹部たちを破って魔王すら打倒したのが俺なのだ。




「一番線、特急電車が通過致します」

 歯切れのよい自動読み上げ音声のアナウンスがホームに響き渡る。
 結局、書類を処理するのに1時間近くかかってしまった。19時を過ぎて日は沈んでも、駅のホームは煌々と明るく、人の気も絶えない。せわしない。安っぽい蛍光灯の点減も、酒臭いサラリーマンの怒鳴り声も、何もかもせわしなく虚ろだ。この世界のこういうところが嫌いだ。戻りたい、あの世界に。
 この「回帰衝動」は一時は治まりを見せていたものの、最近になってまたぶり返して来ているようだ。今こうして駅のホームでベンチに座っていても思い出すのはあの日、魔王にとどめを刺したあの瞬間のことなのだ。
 キヨスクで買った宝缶を一気に煽る。胃に焼けるような刺激が走り、全身が充足感に包まれる。

 世界を救って誇らしいかといえば誇らしいし、達成感だってある。信じてもらえるなら会う人みんなに自慢して回りたい。俺がどれだけそうしたいと思ってることか。しかしながら、10年前から今日に至るまで、俺はその成果を素直に喜べずにいる。浮かぶのは戦友の、俺の手の中で死んでいった愛しい人の顔だけだ。

 俺はビニール袋から甘栗の紙袋を取り出すと、殻を割って口に放り込む。甘い香りが鼻孔から抜けていくのを感じながらまた宝缶を一口飲む。

 彼女は名前をマイという。愛しい人とか言っても、俺が彼女について知ってるのはそれくらいだった。彼女は俺と同い年の魔術師で、いきなり異世界に連れてこられて戸惑っていた俺を導き、魔法で助けてくれた。短い間ではあったが、冒険を通じて俺たちは確かに心を通じ合えていたと俺は思う。彼女もきっとそう感じてくれていたと、俺は信じている。
 だが、彼女は行ってしまった。あの日、魔王の軍勢の幹部をすべて倒し、ついに魔王本人と魔王城で対峙したその時だった。魔王が放った電撃からとっさに俺を庇った彼女は致命傷を負い、俺の手の中で死んでいった。彼女は最後に何も言わなかったが、うろたえる俺の頬に手を当てて微笑んでいた。
 あの時のことを考えない日はない。もし俺が盾を構えていたら、あと10センチ横に立っていたら、彼女を守れるだけの力があったなら。後悔は矢のように鋭く、長く俺を苛んでいった。一時期ほどではないにせよ、あれから10年経っても未だに彼女の夢を見る。手の中で彼女を看取る夢をだ。

 俺はビニール袋から二缶目の宝缶を取り出すと、力なく開封して傾けた。味はもうよく分からない。涙の味とでも言うべきか。
 ふと、俺の目に一羽の蝶がうつる。青や紫のケバったらしい蝶だが、この寒空にどうしたのだろう。いや、その羽虫がどこから来てどこへ向かうかなど本当はどうでもいい。本当に気になったのはその模様に、飛び方にどこか見覚えがあったからだ。でもどこだろう。

「一番線に、間もなく電車が参ります。お乗りの方は黄色い線より内側に…」

 その蝶のことが無性に気になった俺は、何かに突き動かされるようにベンチから立ち上がって蝶のほうに歩んでいった。酒のせいでおぼつかない足で一歩近づくごとに、その蝶の事を少し思い出せるような気がした。そして一歩近づくごとに、マイに近づいているように感じられた。マイがなんだって?

「危ない!」

 誰かが叫んだ声で我に返った俺は、自分がホームのフチに片足で立っていることに気付いた。ホームに滑り込んできた電車があと数メートルまで迫っている事にももちろん気づいている。間に合わない。落ちる。何という間抜け。
 でも蝶の事は思い出した。前にあの蝶を見たのはちょうど10年前、俺が異世界に連れて行かれたその日だった。

 マイの最後の微笑みがまた見えたような気がした。