まとめて読む

 薄暗い部屋の中、タイピングの音とクリック音が延々と続いていた。
 作業は昼下がりに始まったが、日が沈んだ今も終わる気配は見えない。
 ディスプレイの前に腰掛けた男は、目の前の画面が部屋の中で唯一の光源となったことに気付くと、伸びをするついでに電灯のリモコンに手を伸ばした。
 数時間ぶりに明るさを取り戻した部屋の中で、男はまた画面へと視線を戻した。
 画面に写されているのは、書きかけのレポートと、いくつかのwebサイト。
 キーボードの脇には、週刊誌の山。
 webサイトや週刊誌の見出しに載っているある文言は、また彼のレポートの題材でもあった。
 青少年連続失踪事件。
 各地で、何の変哲も無い青少年達が、ある日を境に忽然と姿を消していくという異常事態に付けられた呼称である。
 全国的、同時多発的に起こったそれは、事件というよりは現象と呼ぶべき代物であったが、いずれにせよ、この現代に蘇った神隠しは、世間の大きな関心事の一つとなっていた。
 「ダメだ、さっぱり分からん。まぁ素人のやってることだしなぁ……」
 そう言って溜息を漏らす彼の目的は、この現象の真相を探る事であった。
 彼自身はジャーナリストでもなければ学者でもない。
 時間を持て余した、どこにでも居る一人の学生である。
 その一学生が、課題でもないレポートに取り組んでいるのには些細な訳が有った。
 一月前、彼の友人も失踪したのである。
 失踪したその友人は、特別に彼と仲が良いというわけでもなければ、特別人となりが優れていたわけでもない。
 普段大人しい割に妙なところで自己主張の強いその性格が、彼を煩わせたこともしばしばである。
 彼をしてその失踪を些細と表現せしめるには、そうした微妙な人間関係も手伝ってはいたが、ともあれその一件以来、彼を取り巻く状況は僅かに変わった。
 対岸の火事と決め込むには、その異常はあまりに身近になってしまったのである。
 「しかし、調べれば調べるほど意味が分からないな……」
 彼は憤りのこもった指で頭をかいた。
 この出来事について、何故事件ではなく現象と呼称すべきなのか。
 それは、仮に事件だとするならば、実行者が何者で、動機が一体何なのか、まるで分からないからである。
 つまりは事件性と呼べるものがそこには存在しないのだ。
 勿論、件の出来事が世間を騒がせてからこちら、各方面の有識者がこの件にしかつめらしい説明を与えようと試みてはきた。
 組織犯罪説、集団家出説、キャトルミューティレーション説。
 犯罪組織にも不文律で守られる一応の縄張りというものがある、国土の両極で同日に姿を消した若者の例を一体どう説明するのか。
 集団家出だとして、一青少年が示し合わせたように同時期に姿を消し、また一人として見つからないなどという事がありえるか。
 キャトルミューティレーションだとすれば、そもそも異星人の存在を立証しなければならない。
 百の仮説には百の反論が付き纏い、そのくせ一つの証拠も出てこない。
 結局、どの説も単なるオカルトや陰謀論の域を出る事はなかったのである。
 彼が調べた話の中には、あるトラック運転手が一瞬の不注意から横断歩道で人身事故を起こし、あわてて車から降りたところ、そこに居たはずの人影が消えており、運転手は後になってそれが失踪事件の当人だと知った、等という怪談じみたものまであった。
 「動機にしても、色々人が居る中で何でわざわざこいつらを攫うかね……」
 失踪した当人達は、揃いも揃ってどこにでも居る普通の若者、それも多くは男子高校生である。
 体力があることと臓器が新鮮である事を除けば、所謂商品価値というものを見出すのは難しい人種。
 少なくとも彼にはそう思えた。
 人間の詳しい相場など一介の学生に分かるわけが無いという指摘や、人命には等しく価値があるとする思想は、彼の見解に対する反論にこそなるだろうが、動機の説明にはなりそうになかった。
 或いは臓器の需要がここ最近急騰しているのでは……と頭をよぎった所で、彼は凡百の陰謀論者の轍を踏みかけている事に気付き、急いで頭を振った。
 「今日はこれくらいにしとくか……そもそもあいつがこの件に関ってるかも分からないし……」
 「関ってますよ」
 聞き覚えの無い少女の声が彼の背中を叩いたのは、彼が一端夕食にしようと思い立ったそのときであった。
 私は怪しいものではありません、という怪しい人間以外口にしない文言を三回ほど聞いたところで、110番を押そうとした彼の指はようやく止まった。
 尤も、彼の警戒を解いたのは三度の念押しではなく、目の前の相手の姿である。
 必至に警戒を解こうとするその少女の背丈は、多く見積もっても彼の半分といったところだった。
 いざとなれば貧弱で鳴る己の腕力でも、どうにか制圧できるのではないかと言う打算に塗れた余裕が、図らずも彼に話を聞く暇を作らせたのだった。
 「どうもありがとうございます」
 居間に通された少女は、勧められた麦茶を慇懃に受け取った。
 その立ち居振る舞いを見ている内、初めは優越感に支えられたものであった彼の精神的余裕も、徐々に相手への信用によるものへと変わり始めていた。
 「それで……あなたはどちら様で?」
 「あ、申し遅れました。私はオリンと申します」
 少女は受け取ったコップを脇に置いて、恭しく頭を下げた。
 「おりんさんですか。妙に古風な名前ですね」
 相手とは初対面であったことを思い出した男は、しまったとばかりに自分の口をふさいだが、当のオリンの方は特に気にするでもなく麦茶を口にしていた。
 「私が何者か、もう少し詳しくお話したいのですが、その前にこれを確認してもらって良いですか?」
 「これ?」
 オリンと名乗った少女は、懐から黒い塊を取り出して男に差し出した。
 「確認って一体……あれ!?」
 得体の知れない相手から差し出された得体の知れない物体に、初めは手を出すのを躊躇していた男だったが、数秒ほどそれを見つめた後、今度は奪い取るように少女の手からそれを掴み取った。
 「これ、もしかして……」
 それは、比較的型の新しいスマートフォンであった。
 男が目を丸くしているのは、当然それが新型だからではない。
 持ち主に覚えがあったからである。
 「その機械。あなたの友人の持ち物で、間違いないですか?」
 「多分……中身は確認できませんが、見た目は完全に同じです」
 「そうですか……」
 オリンが渋い顔をして頷いた。
 「あの、これどこで拾ったんですか?」
 「いえ、拾ったのではなく、我々が彼から接収しました」
 「接収……?」
 「その、非常に申し上げ難いのですが……」
 何か逡巡する様に小さくうめいた後、少女は辺りを憚るように切り出した。
 「あなたの友人は、現在この世界に居ないんです」
 彼の部屋の中は、一瞬時が止まったかのように静まり返った。
 「この世界に居ないって、まさか死……」
 「いえいえいえ! 命に別状はありませんから!」
 青ざめた男の顔を見て、少女が慌てて説明を続ける。
 「最近、このあたりで急に人が消えていることは、あなたもご存知ですよね?」
 オリンが部屋の片隅に目をやる。
 男の部屋と同じく、居間の脇に週刊誌が詰まれているのを、目ざとく見つけていたようだった。
 「まぁ、一応。世間じゃ、神隠しだとか集団失踪だとか色々言われてますけど……」
 「実は、その人達全員、我々の世界に来てるんです」
 「……世界?」
 次々と出てくる突拍子の無い情報を、どうにか頭に詰め込もうとするように、男は頭を抱えた。
 「その……つまり、あなた方の国が、彼らを拉致した……と?」
 「いえ、これは我々の意図するところでは有りませんし、彼らは国境ではなく世界を超えて移動したんです」
 「えーと、さっきから言ってるその世界と言うのは一体……」
 「上手く説明するのが難しいのですが、物理的な連続性を持たない別な空間に移動した、と考えてもらえれば」
 「別な空間……」
 事件について調べていた中で、ただのオカルトとして切り捨てていた仮説の一つに、似たようなものがあったことを男は思い出した。
 フィラデルフィア実験を引き合いに出し、関係者の体は何らかの条件によって時空の頚木を逃れたのではないかとする仮説である。
 「それで、あなたの友人もどうやってかは分かりませんが、こちらの世界に飛んできたんです。急な話ですから、すぐには信じられないとは思いますが……」
 「まぁ、そうですね。いくらなんでもオカルト過ぎる気はしますけど……」
 そう言いながらも、男の目は机の上のスマートフォンに向けられたままであった。
 どれだけ調べても見つからなかった友人の手がかりを持っていた以上、この少女がただの無関係な狂人であるとも、男には思えなかったのである。
 「いや、俺が信じる信じないは、この際置いておきましょう。……取り合えず、今の話が全部本当だったとして、何であなたは俺のところに?」
 「ええ、実はそのことなんです。その……重ねて言い難い事なのですが、彼の強制送還のお手伝いをお願いしたくて……」
 「……はい?」
 彼の部屋は再び時が止まり、静まり返ったその中を、男の頓狂な声だけが暫く跳ね回っていた。
 近年、何らかの理由で青少年が立て続けに異世界へ転送されており、それが件の連続失踪事件の正体であったこと。
 男の友人も、転送された青少年の一人であった事。
 友人の身柄は、向こうの世界ですでに確保されており、現状命に別状は無いこと。
 そして一人の少女が、そのことを伝えに男の世界へとやってきたこと。
 「……ここまでは間違いないですね?」
 オリンと名乗る少女の話を要約しながら、男はやかんを火にかけていた。
 「はい、そういうことになります」
 男の唸り声と、やかんの笛が不協和音を生み出して、男の表情は一掃歪んだ。
 すでに日はすっかり沈んでおり、茶菓子と麦茶だけでは腹具合も誤魔化せない頃合になっていた。
 「……それで、さっき話してた強制送還というのは?」
 二人分のカップラーメンを作って、一つを向かいの席に勧めると、男は残った一つを手に席へと戻った。
 食事前に手を合わせる文化が無いのか、オリンは会釈してからフォークで麺を救い上げた。
 「先程お話したように、彼らがこちらに来たのは、我々の意図するところでは有りません。むしろ不正入国のような形になりますので、こちらとしてもお帰り願いたいわけです」
 「帰したいなら、勝手にやれば良いじゃないですか。あなたがこっちに来た様に、魔法か何かで転送すれば良いだけでしょう?」
 「それがそうもいかないんです……」
 オリンが苦そうに麺を啜る。
 「転送魔法と言うのは、基本的に送る側と送られる側の意思が同調していないと、上手く発動しないようになっているんです。要するに、向こうが帰りたいと思わないと帰れない仕組みになってまして……」
 「まさかあいつ……」
 「こちらの世界に未練は無いので、別に帰りたくないと……」
 「あの馬鹿……」
 男と少女の溜息が同期した。
 「加えて、彼の場合少々面倒なことになってまして……」
 「これ以上面倒な事が想像つかないし、何ならあまり聞きたくないんですが……」
 「殆どの人は、異世界からの難民という形で保護しているわけなのですが、彼の場合は保護というよりは逮捕に近いんです」
 「……逮捕?」
 既に意外性の数え役満と化した居間であったが、男は再び自分の耳を疑っていた。
 「逮捕って聞こえましたけど……あいつ、なにやらかしたんですか?」
 「詐欺未遂です。その電子機器を、光と音を生み出す魔法の箱と偽って往来で売りさばこうとしていて……」
 オリンが机の上のスマートフォンを指差す。
 「最新技術を魔法と偽って販売するのは、魔法技術が確立されてすぐ、まだ一般に浸透していなかった時代に流行った古典的な手口なんです」
 「そんな古典は聞いたことが無いですが、そうなんですか……」
 「もっとも、彼の場合さほど珍しい電子機器でも無かったですから、特にだまされる人も居なかったのですが」
 「あぁ、それで未遂なんですね……」
 「言葉も通じませんでしたから、身振り手振りで販売しようとしていたようです。通りかかった親切な人が意思疎通を試みた結果、言葉は通じないけれど、どうも詐欺を働こうとしている疑いがあるということで、通報されまして……」
 「惨め過ぎる……ってあれ?」
 異世界の科学技術を侮った挙句、冷たい飯を食らう羽目になった友人に思いを馳せるうち、男は些細な疑問を抱いた。
 「そういえば、おりんさんは普通に話できてますよね? 異世界の人間とは、言葉通じないんじゃないんですか?」
 「あぁ、これのおかげです。こちらのイヤホンが聴いた言葉を翻訳して私に届けてくれて、こちらのマイクは逆に言葉を相手の知っている言語に変換するんです」
 確かにオリンの耳には小さなイヤホンが付いており、男が耳を澄ましてみると、なるほどその声は口元ではなく胸元から発せられているように聞こえた。
 「魔法技術と科学のハイブリッドで、最新型なんです。今は語学に強い人の方が就職に有利ですが、これが普及すればそのような事も無くなるのではないかと言われていて……」
 「なるほど、スマホじゃ騙せん訳だ……」
 手にした小箱が魔法級の発明のはずと思いあがっていただろう友人の姿を、男はいっそう哀れに思い浮かべていた。
sage