一一

    十一

      十一の一

 高野の頂に響き渡る明け六つを肌で感じ目を開けば卯の正刻、大浴場の露天風呂へ足を運び、山を彩る朝化粧は薄明に輝く朝靄の繭に包まれながら、高所の夜に冷やされた水を頭から被る。三度繰り返して身を清め、部屋に戻ると枕元に備えた短刀を手に取った。
 丈は九寸刃紋は匂い出来の丁字乱れが華やかに舞う、昨夜のうちに柄は抜き五寸の刃を残して奉書紙を巻いている、紛う事なき抜き身の刀。
 目をつむり、胸をはだけ、悠然と開腹の所作を踏む。
 左腹より右へ、然る後鼓動に震える鳩尾を真上から突き下腹臍の下まで。刃先は僅かに噛ませ肉を切るようにしかと抉ると、裂けた皮膚から覗けた白い身に一寸遅れでさながら湧き水を掘り当てたかのような血が滾々と溢れてくる、この十文字を以て一度の死を身に刻む。
 朱に濡れた刃を拭い血隠しに厚く巻いたさらしの下に仕込めば、既に死身にて我も無し。他念一切消え失せ真に残るは盤と四十の駒ばかりなり。


 ――読日新聞文化部・幸田成行記――
『結論から書くと、浅井響という存在は紛れもない天才である。プロ棋界という天才しか存在しない世界においてもなお、ズバ抜けた天才なのである。
 中学生デビューのプロに対して何を今更、と思う人間も多い事だろう。或いは「アレが天才でなければ何が天才だ」と憤然とする人間すらいるかも知れない。特に近頃では現役都立高校生のタイトル挑戦という話題で一般のテレビまで賑わしているのだから、浅井の天才は棋界の常識に止まらず既に日本の常識になっているのかも知れない。
 その神童が、今、生まれて初めての苦境に立たされている。

 五という数字がある、それが或いは六になるかも知れない――と書けば、勘の良い読者は大抵気付くことだろう。王竜戦第一局から始まった浅井の連敗記録のことである(十月十四日・十五日王竜戦第一局、続いて二十日赤兎本戦準々決勝、二十六日旭日杯オープントーナメント二次予選一回戦、二十八日棋天戦二次予選二回戦、そして十一月一日・二日王竜戦第二局)。
 奨励会時代を含めても、これまで浅井は公式対局で三つ以上黒を繋げたことが無かった(二連敗はこれまでに五度。奨励会一級で一度、初段で一度、プロ入り後に三度)。これは浅井の天才を証明するエピソードに他ならないが、だからこそ、今抱えている連敗も重い。

「天才は一度崩れると脆い……みたいな設定、ありがちやんな」
 とは、前夜祭会場で声を掛けた本局立会人小寺二冠の発言である。浅井とは年度初戦で当たっており(神座本戦一回戦)、その時は二冠の貫禄を見せつける鮮やかな勝利だった。世間を騒がす神童も二冠からすればまだ青いという評価なのだろうかと思いきや、
「けどまあ、そういうひ弱い天才ってタイプともちゃう気がするなあ」
 既に十二分に認めていることが窺える言葉だ。
 ――実際に手を合わせてみて、どんなタイプだと感じましたか?
「生粋の勝負師。上っ面だけ見るとまんま今時の優等生棋士やけど、中身はとんだ極道や」
 ――随分と険呑な表現ですね。
「比喩や無しに、将棋が無かったらまともにお天道様拝めとらん人種やと思うで」
 この小寺二冠の評に、私は少々の戸惑いを覚えた。
 確かに、浅井と言えば相手の手を容赦なく殺し尽くす檄辛な棋風でも有名だが(代表例として挙げられるのが前期順位戦最終局で立花(姉)に指した【成香冠】)、普段の彼は盤上とは打って変わって礼儀正しい好青年である。「将棋がなければお天道様を拝めない人種」という評に関して言えば、むしろ、「一般社会でも生活できるプロ棋士ランキング」で浅井は間違いなく上位に入る、というのが、私の感覚なのだ。
 ――意外です。地に足の着いたタイプだと思いましたが。
「せやねんけど……まあ、彼と将棋で勝ち負けしてみりゃ、嘘は言うとらんと解りますわ」
 つまりは、「凡人が浅井の真の顔を知ることは未来永劫有り得ない」と言うことらしい。小寺二冠らしい、ウィットに富んだ返しである。(続く)』


 顔色がひどいと心配する立花の母に何の問題もないと答えるも、情けない面のまま対局場に行くのでは相手にも迷惑であろうと、唇に薄く紅を引き頬は白く塗り整えて貰ううちに、言われてみれば死に化粧というものがあったと思い出す。
 余計なことを言わないようにと心懸けているのだろう立花の母ですら、紅を引くその手が震えている。男の化粧をすることに慣れていないなどという理由ではないだろう、その程度のことならば難なくこなす器量を持っている女性である。
 はっきりと怯えている。目の前の現実離れした現実にたじろいでいるのである。
「大事な時間なのに、こっちがこんなんで、ごめんなさいね……やっぱり、旦那と子どもじゃ子どもの方が大事みたい」
 これでも精一杯の冗談なのだろう。
「おじさんとは心中しても良いくらいに思ってるから、おじさんの時は動揺しないんだよ」
 一つ、落ち着かせるように、こちらも冗談を置いてから、
「大丈夫だよ。今日は、きっと良い将棋が指せる」
言葉に一切の偽りはない。研ぎ澄まされた精神はむしろ最良の状態である。


『――午前八時五二分。対局場となる金剛峯寺奥殿に現れた浅井は全身から異様な雰囲気を醸し出していた。袖から覗けた腕には血管の網目が透き通るように浮き上がり、化粧で隠しているものの恐らく顔面も蒼白であろう、あまりにも整いすぎている、鮮やかすぎる色面からはまるで生気を感じられないのである。
 人形、或いは死体。口には出さないまでも誰もが死という言葉を連想する様相であった。命を懸けた人間の気迫というものは恐ろしいまでに静かで、そして見る者の肌が粟立つ程に美しいのだ。
 賑やかしでやって来ている、浅井をただの高校生と勘違いしているような一般の取材陣などは、その雰囲気だけで文字通り絶句していた。竹中のような人格者ばかり相手にしているものだから、将棋を凡百の娯楽の延長と勘違いしていたのだろうか、将棋記者としては少しばかり良い気分である。そして同時に、小寺二冠の言葉が朧気ながらも理解できた気がした。
 ただの天才に、堅気の現代人に、この狂気は決して出せまい。
 第三局の先手番は竹中名人。

 棋界内部でも注目度の高い一戦だけあって控え室には早朝から多数の棋士が詰めており、お隣の囲碁界からも立花鑑連名人本因坊が遊びに来ている。張り詰めた空気の対局室とは一転、碁好きで知られる関西の長老・京極九段を筆頭とした、碁に興味のある棋士を相手に、和やかな空気で指導碁が行われ、打ち方すら知らない若手の乾四段には初歩から丁寧に教えている。全くの低級である私も思わぬおこぼれに預かり、これも記者の役得、本人は普及活動だと気さくに笑っていらっしゃるが、これほど贅沢な普及活動は他にあるまい。
 何故本因坊が将棋のタイトル戦にと思う方もいらっしゃるだろうが、棋界に詳しい方はご存じの通り、本因坊の二人娘はどちらも将棋の正棋士である。浅井、島津、そして立花姉妹の四名は奨励会時代から関わりが深く、昔から立花家で行われている彼らの集まりは別名を本因坊研とも呼ばれている(当然中身は将棋の研究会である。なお六角門下の浅井を除いた全員が結城門下)。このような事から本因坊と浅井は幼少の頃から深い縁があり、今回は観光がてら応援しに来たとのこと。明日の現地解説には二人娘が揃って招集されていることもあり、控え室は浅井持ちの向きが強くなるかも知れない。
 閑話休題。
 これまでの三局を中飛車・角換わり・対抗型と来ている戦型に関して。両者共にどのような形も指しこなすタイプであるだけに戦前予想はまとまらなかったが、後手番の浅井が振れるかどうかが焦点であるという見方は一致していた。前局の浅井は先手ながら採用率の高い四間穴熊の形を取ったが、終始陣を圧迫される形で完敗の内容、それだけに後手番で振れるかどうかに注目と言った所だろう。
 参考までに本因坊に尋ねた所、振るならば二手目3二飛が見たいとの事だったが、これまでに浅井が公式戦で指した記録は無い。(続く)』


 ――先2六歩、後8四歩、先2五歩、後8五歩――