『浅井が5七桂と打ってから、竹中は二十分ほど時間を使った。
「ここはこの一手でしたから、この時間は5七桂の意図を読んでいたんでしょうね」
 生放送の始まった解説会場では千代五段による解説が粛々となされていく。
「残り時間は、両者共に三十分程ということで、お互いに余り残っていません。これから一時間半の放送枠ですから、決着の瞬間をお伝え出来ると思います」
 会場は先程までの騒動など無かったかのように冷静を取り戻しているが、しかし5七桂の評判が悪いのは相変わらず、竹中必勝ではという空気が濃くなってきた。
「第一局で負けてから、どうも調子崩してたから。終盤解らなくなっちゃったのかな」
 吉川八段が悔しそうな顔で言う。吉川八段は本タイトルの挑決で浅井に敗れているだけに、現在の浅井がふがいないという感覚もあるのだろうか。
 逆に5七桂を絶賛したのは、放送開始後ひょっこりと姿を見せた二十一世名人・二階堂秀行。
「猫が虎、蛇が龍に化けたかな……こりゃ今回は重治の負けだ」
 と、会場で局面を確認した瞬間に断言。弟子の為に相手の緩手を喜ぶような方ではなく、二十一世の目には本当に浅井必勝の手順と見えているのだろう。
 ――実はあまり評判が良くないのですが、この5七桂は一体どんな手なのでしょうか?
「知るか。ワシはもう引退したんだ、細かく読んだ訳がないだろう。現役に聞け」
 ――では、必勝と断言する理由は?
「勘だ、勘。あの手が指せるなら負けはない、名人とは読まずとも指せる人間のことよ」
 浅井の5七桂を聞いてから本局を一から並べ直してみるなど、二十一世はひどくご機嫌なようだ。
 その後も浅井の戦績などを眺めていたのだが、ふと、
「今年の新人王戦優勝したのか」
王竜戦が始まる直前に決めた、新人王戦の優勝が目に留まったらしい。
 ――ええ、昨年度まで五段でしたから。最後のチャンスでしたね。
「記念対局はどうするんだ。重治とは今やってるだろう」
 新人王戦に優勝した棋士はタイトルホルダーとの記念対局が組まれる。例年ならば名人が相手をする場なのだが、現名人は竹中だ。
 ――なので、今年は六角先生にお願いするらしいですよ。二十二世であり、現役のA級棋士であり、現棋天位であり。何より師弟対決ですから、盛り上がります。
 記者としても、一ファンとしても楽しみな対局なのだが、それを聞いた二十一世は、
「アイツらはただの一回、名人懸けた勝負だけで良い……代わりにワシが指してやるか」
そう言ってから、
「全く、将棋というものは有難い」
ふと漏らした言葉に込められた底の深さが、私の肌を粟立たせた。(続く)』


 ――後7六歩、先同銀、後同飛――