十二の四

 週末、都内ホテルのホールにて行われている新人王表彰式は主催新聞社が同じとあってお隣の囲碁と共同で行われ、
「――私の新人王となりますと、もうかれこれ二十数年前のことになりますが――」
壇上で祝辞を述べているのは見慣れた鑑連であり、今期囲碁の優勝は立花門下の二十四歳三木直頼五段であった。
「しかしまあ、将棋の関係者が少ないね」
「その代わりに取材多いじゃん、浅井君の御陰だな」
などと小声で交わす、市ヶ谷の兄弟子達の輪に加わっていた響は、
「ウチの師匠俺以外に弟子いませんし、本人も来てませんからね。友達も呼んでないんで本当に知ってる人誰もいませんよ、精々会長くらいかな――」
と、聞かされた他人が気を遣いそうな内容はさらりと流し、
「――にしても、三木さんが取ってたなら一言位教えてくれりゃ良いのに。山中君なんて普段からどうでも良いメール送ってくるのにさ」
いつぞやの一件以来日常的にメールする仲にまでなっている、山中少年の話題へと移る。
「そっち忙しそうだったし、ヒビキの場合は当日会って驚かせたかったんじゃないの?」
「あー、それだろうな。アイツそういうガキっぽいとこあるから」
「ぽいっていうかガキなんだけどね、実際」
「皮被ってるし」
「それ、からかうのやめてあげて下さい。この前ガチで相談されましたから、流石に」
 腹を壊してトイレに籠もっているのだという、本人をよそに言いたい放題である。
「ところで浅井君、この同席を機に本格的にコッチへ籍を移すってのはどうだ?」
「本当に悪くないんですけどね……会員資格剥奪されちゃいそうなんで遠慮しときます」
 下らない事を言い合っているうちに鑑連の祝辞は終わり、お次は将棋、響の関係者からの祝辞となるはずだが、師匠にあたる六角は不在である。一体どうするのだろうと他人事のように壇上を眺めていると、どうやら代理は松永会長が務めてくれるらしい。
「でも、弟子の表彰式を完全無視する師匠ってのも凄いね……将棋ってそういう世界?」
 兄弟子の一人が何気なく呟いた。
「いや、ウチが特殊なんじゃないですかね……それに現役の人ですから、弟子に構ってる暇もないんでしょう」
「それじゃあ立花先生が暇人みたいだ」
「家だと酒呑んでる姿しか見ないですから、あながち外れてない」
 兄弟子達の、特に若い面子と一緒になってケタケタと笑い合っていると、
「おい……少しお喋りが過ぎるぞ」
といつになく威厳に満ちた声の鑑連が背後からのっそり現れ、兄弟子と顔を見合わせて肩をすくめる。
「――浅井君というとてつもない才能がいると、これは奨励会時代から言われていた訳ですが、私は既に引退していたので、早かったかなと九割悔しがり、そして一割は安心したのですね。どこの世界も一緒ですが、若い者に虐められずに済んだと――」
 松永の祝辞は終始好々爺といった雰囲気を漂わせており、取材陣もすっかり信じ込んでいるのだろう、仕事を忘れて微笑んでいる人物もちらほらと見受けられる。
 一般記者の間では『プロ棋士という人種は世間知らずの純朴な連中ばかりで、到底政治など出来やしない』というイメージがあるらしいとは、以前、将棋専門記者から聞いた話であるが、松永はそれすらも利用している。つまり、この祝辞も純度百パーセントの打算――そう考えているだけに、響はどうもまともに聞く気になれない。


 壇上での謝辞を終えた響がほっと一息、肩の力を抜いていると、
「浅井君、本当におめでとう」
声を掛けてきたのは松永だった。
 慌てて姿勢を正そうとするが、そっと手で制され、
「良い、良いよ。君も疲れているだろう。対局がどうも過密になってしまって、本来ならもう少し考慮してやりたいところだが、以前から決まっていたものはどうしてもな」
 詫びるように片手を立てながら、
「しかしタイトルホルダーになれば、予定を把握出来る分事務も考慮してくれるぞ」
傍から見る分には、朗らかな笑顔で言う。
「放送協会杯は残念だったが、王竜戦は頑張りなさい」
 会長なのだから当然ではあるが、昨日の今日で結果は既に伝わっているらしい。
 先日の敗戦を思い起こされたか、それは響本人ですら気付かないほどの、僅かな変化に違い無かったが、
「君の表情に出易い性格は嫌いじゃない。この世界ではそれ位の方が大きくなれるものだ」
松永はさらりと指摘する。
 私を苦手にしていることも知っている。そう伝えてくるような、含みのある口調だった。
 戸惑いを隠さない響に、意味深な笑みを浮かべながら続けた言葉は、
「立ち回りが下手な血筋なのだろうな、君は」
遠回しに祖父のことを示しているのだろう。
 やはりこの人は苦手だ。
 響が露骨に視線を逸らすと、
「ところで、記念対局の話なんだがね。二階堂さんが先手を欲しいと言っている……君は現役であちらは引退棋士だから、こちらとしては了承するつもりだが、構わないか?」
一転、話題は事務的なものへ。
「はあ、構いませんが」
 将棋における先後の有利不利は否定出来ないが、響自身は後手番の不利をさほど大きなものとして考えておらず、ましてや相手が引退棋士という立場で舞台に昇ってくることを考えれば、敢えて拒否する理由もない。
 松永は、ありがとう、と置いてから、
「君は、二階堂さんの現役時代を知らないのだったか」
瞬間、ふと雰囲気が変わったように感じたのは、響の思い過ごしだろうか。
「そうですね。生まれた頃にはもう引退なさっていたので」
 二階堂が現役を退いたのは今から十八年前。
 六十四歳という高齢で参加したA級順位戦は開幕から三連敗と衰えを囁かれるスタートも中盤から一気に盛り返し終わってみれば六勝三敗、星を潰し合っていた周りの状況にも恵まれ、プレーオフへと持ち込まれた挑戦権争い、現在B組二組で現役の斯波九段は当時二十九歳という指し盛りを相手に完勝し、勢い十分で長年の宿敵である六角へと挑戦した。
 しかし結果はストレートでの敗退。
 その後、次期順位戦に序列一位として参加する資格を持っていたがこれを放棄、フリークラスに転出することもなく、あっさり引退したのだという。
「君の若さにも、時の流れの速さにも、驚くものだ……さしずめ、あの人は夏椿かな」
「夏……?」
「祇園精舎の鐘の声、学校でやってないか?」
 平家物語だったろうか、と頭の中を探っていると、
「現役の強さというものを見せつけてやってくれ、そうすれば多少は大人しくなるだろう」
言い残した瞬間すら気付かせずに、いつの間にか松永は立ち去っていた。

 式典は進み記念撮影へ、関係者が一人もいない状況ではあまりにも悲しいと、囲碁組に気を遣って貰ったこともあり合同で済ませて貰う。
 シャッターを待つ僅かな時間、中央に並んでトロフィーを掲げる三木五段に、
「三木さん、夏椿って知ってます?」
「ん、花だろ。確か白い花だけど」
「平家物語と何か関係あるんですかね」
「夏椿で平家とくるなら、盛者必衰の花の色は沙羅双樹じゃなくて夏椿、っていう話かな」
唐突な質問に怪訝な表情を見せながらも、プロとして活動しながら国立大学を卒業したという兄弟子は、流石の教養をさらりと披露してくれた。
「沙羅双樹は元々曼荼羅なんかに描かれている仏教的な意味のある植物でさ、インドの方に実在する植物なんだが、日本の気候では育たないんだよ。だから平家で語られているのは見た目がよく似た夏椿だろうっていう話」
「へえ……初めて知りました」
「俺も聞きかじった程度だから確かなことは言えないけどね。で、突然どうした?」
「いえ、さっきウチの会長から言われまして」
 カクカクシカジカ説明すると、三木は、なるほどねえ、と呟き、
「それはひょっとすると、色々と含ませた言葉かも知れない」
「どういう意味です?」
「沙羅双樹が尊いとされているのは、釈迦が入滅した時に近くにあったからだそうなんだ。即ち涅槃の境地を示すメタファー、八十歳を超えた悟りの象徴としても読める訳だ」
「涅槃ですか」
 おまんこニルヴァーナ――他ならぬ二階堂の話題だけに、そんなどうしようもない言葉が浮かんでくる。
「会長さんは二階堂さんと同門なんだろ? それなら、そういう所に到達している人だぞと、年寄りの意地を見せているのかも」
 松永の言葉でなければ深読みし過ぎだと聞き流すところだが、しかし、なのである。
「若造なんぞには負けない、ってことですか」
「さあね、結局は推論だよ。一瞬でそこまで考えて口にしたなら大したお爺さんだ」
 宣戦布告と受け止めるには余りにも遠回しなやり方だが、いずれにせよ単純な記念対局というつもりではないのだろう。
「どのみち、関係無いんですけどね」
 全ての将棋は勝つ為に指すのだから。
 言った直後、準備が整ったという呼びかけに応じてカメラへと向き直る。