十三の四

 一般において、奇襲という手段は下策であるとされる。これは、然るべきところに然るべき戦力を投入できるならば自然と戦局は優位に傾いていくのであるから奇襲を行う必要など無い、という常識論によるものである。即ち、奇襲とは、実際に戦闘行為が発生した段階において然るべき戦力を用意できなかった側の行為であり、敗北を許されない立場にあるのならば、然るべき戦力を用意できるまで待つことこそが使命なのである。
 たとえば信長による桶狭間、たとえば九郎義経による一ノ谷の逆落とし。それらは必要に迫られたが故のやむを得ない決断であり、結果として残った伝説的勝利は、幸運こそが大であったとすべきであろう。信長は十倍の敵にあたらねばならず義経は周到な準備の上で待ち構えていた平家軍の裏をかく為に背後を取らなければならなかった。
 では、それらの勝利は全くの幸運であったのか。状況に劣る側は常に幸運を頼る以外に無いのか。
 そうではない。両者共に、合戦の起こる地形を予め調査し、敵軍に関する情報を収集し、劣勢にある自軍戦力をいかに配分すべきかと、周到に計画していた。
 奇襲の成功に求められるものは、一つには幸運。そしてもう一つには、圧倒的劣勢を前にしても決して諦めず、策を張り巡らせ、それがいかに僅かな程度であろうともいざ幸運が訪れた時には即座に行動に移れるよう、勝利への周到な仕度を怠らないことである。
 響は後者を着実に行っていた。初日以来一貫して苦しい形勢をそれ以上損ねることなくじっと堪え、後々に繋がる手であれば危険な道を見極めて踏み込み、敵陣を盤石には整えさせなかった。馬を封じ、玉頭に拠点の歩を作り、必要な香車を打たせ、守りの銀を抜き――そうして尽くした人事に天は応えた。
 桶狭間に雨の降った如く、弁慶が鷲尾義久と出会ったが如く、竹中は4五香を指した。
 4五香は疑いようもない善であった。しかし次善であり最善で無かった。そこに僅かな隙があった。
 ――後8七銀――
 針先程の間隙を穿つ、この一撃が天下を変える。