『雑種夢勢』


 土手にいる。最近、俺はよく土手に来る。心身ともに疲れ果て、弓折れ矢尽き、もはや座り込むぐらいのことしか出来ない。いずれ回復することが分かっていたとしても、それを耐え凌ぐことが難題だ。潰れる可能性はいつだってあった。
 それはともかく、土手にいる。
 曜日を確かめて来なかったが日曜らしい。小さな男の子と父親らしき男性が、バットやグローブを持って野球をやっている。野球をやっている? 野球を練習している? 言葉は難しくて俺にはよくわからない。いずれにせよ、野球をやっていた。
 男の子は泣いている。
 どうも上手くバットにボールが当てられないらしい。ぐずぐずに涙を流して、悔しそうにバットを握り締めている。それに対して父親は、泣くんじゃない、それじゃ強くなれないぞ、とまるで会社の部下でも叱りつけているように怒鳴る。怒鳴って怒鳴って怒鳴り散らし、最終的にはグローブで男の子の頭をパンパン叩いていた。俺はそれを見てムカッ腹が立ち、いっそあの父親を殺して男の子を解放してやろうかとさえ思ったが、もちろん、俺には自分が間違っていることがよく分かっている。男の子は泣きながらも懸命にバットを振る。俺には不思議で仕方ない。
 あれでいいらしいのだ、世の中。
 俺が思う、この「可哀想」という気持ちは、間違っているらしい。あれでいいんだそうだ。どう見ても可哀想なのに、もっとかけてあげる言葉があるはずなのに、父親は子供を罵り、子供は見捨てられたくないがために必死で練習する。そうしていつかあの子供は大人になって、自分の子供に同じことをするんだろう。きっとあの父親も、そのまた父親に同じことをされて育ってきたのだろう。それでいいらしいのだ。
 俺にはよくわからない。
「お父さんはプロ野球選手になりたかった。たける、お前はまだ子供だ! 若いんだ! 頑張れば何にでもなれる可能性がある! お父さんの叶わなかった夢を叶えてくれ!」
「うん、わかった、パパ」
 死ねばいいのにと思う。
 夢?
 想い?
 願い?
 ゴミみてぇなモンだ。そんなもんにつき合わされる子供が可哀想で仕方ない。俺は昔から――俺の幼馴染にも、ああいう可哀想な奴がいた――自分の夢を子供に押しつける親、というのが嫌いだった。体質的に無理。嫌悪感が生じてしょうがない。野球そのものが大嫌いであんな競技は無くなっちまえばいいと思っているのもあるが(毎年夏になればなるほど高校野球の話題が増えてうんざりする。自分でやらない勝負なんて)、自分が叶わなかった夢が、なんとかすれば、頑張れば、子供に押しつければ叶うなんていうのはチャンチャラおかしい。それを本気で信じてるバカが月給取りなんだからな。肝臓と神経さえ強けりゃ仕事なんて出来るってわけだ。能無しども、死んじまえ。
 それはともかく。
 夢は自分だけのものだ。少なくとも俺はそう思って生きてきた。仮に俺に子供が出来たって、俺の才能や神経を受け継ぐわけがない。たとえ俺が道半ばで何かの夢を叶えられなくても、それは俺がしくじった段階で終わるのだ。誰にも引き継がせないし、引き継げるようなものでもない。所詮、夢を継ぐなんていうのは低能が考えること。いいか?
 自分は自分しかいない。
 自分がしくじればそこで終わりだ。
 血の繋がりとか、親子の絆とか、そういうことは関係ない。
 死ねば終わりだ。
 しくじれば終わりだ。
 だからあの父親はしくじった。それが分からず、気づかず、一人前みたいな顔をして自分の子供を怒鳴りつけている。しくじったくせにな? てめぇはしくじっておきながら、ガキには成功しろなんてどのツラ下げて言えるんだか。高校野球? あんな球遊びに情熱を注いでいる奴の神経が知れない。馬鹿なんじゃねぇか?
 結局それは、自分を信じていないということ。
 信じ切れなかった自分の代わりを探しているということ。
 つまりそれが、弱い、ということ。
 俺がどれほど間違っていようと、殺人者だろうと、真実は変わらない。変えようがない。俺が決めたことじゃないからだ。あの父親も、あの子供も決めはしなかった。誰かが決めた呪いに添って俺たちは呼吸する。せざるをえない。
 どうしてああなんだろう――
 気分転換の散歩にやってきた土手で胸糞悪い光景を見せられながらも、自分から立ち退くことが出来ない無意味なプライドに苛まれて、俺は神経をほとほと疲弊させていった。
 そうそう。
 お袋が死んだ。自殺した。
 耐え切れなかったらしい。気持ちは分からないでもない。
 親父は寝込んでいる。
 あれだけ怒鳴り、殴り、蔑んだ女が死んだくらいで寝込んでいる。俺の方が平気だ。なぜだろう、俺は母親が死んだのに涙一つ出ない。何か失敗したような、忘れ物をしたような気持ちがあるだけで。なぜだろう、俺は病んでいる。病んだまま在野に野ざらしにされている。
 親父――
 あれが愛情表現だというのなら、やっぱり親父は死ぬべき人間だろう。俺もそうだ。俺たちはどこか狂っている。ケダモノじみている。だがもし俺や親父が獣なら、あそこで子供相手に大人げなく夢というバットを無理やり振らせているどうしようもない弱虫が立派な父親だというなら――人間なんて滅んじまった方がいいなあ。それも惨めに、酷に、最低の滅び方をした方がいいな。その方がスカッとする。
 ああ、血が見たい。真っ赤な色に興味はないが、誰かが死ぬのには興味がある。誰かが犠牲になって死んでくれたりしねぇかなぁ。それを見て、ああ自分の方が正しかった、というあの奇妙奇天烈極まりない自尊心を満足させたい。これに限って言えば俺は別におかしくない。百人いて百人、他人の不幸は必ず喜ぶ。
 俺は間違っている。だが、あの父親も正しいとは思えない。Aを選んでもBを選んでもダメだというなら、――なんで俺が選ばれちゃいけないんだ?