『シャムザのかなしみ』


 最近なにも感じない。特に味覚がひどい。どれほど煮詰めたものも砂塵に思える。うかがうように周囲を見ると誰もが美味そうに、あるいは憂鬱そうにそれでも舌鼓は打っているようで、やはり壊れているのはシャムザだけらしい。だからシャムザは表面上は笑顔を取り繕って、静かに口を絹で拭う。
 ずいぶん前からこんなことを続けているが、元はといえばカルカリスの砦を陥とされたことが大きい。何人死なせたか覚えていない。途中から面白くなって、軍師にあるまじきこと、死ぬと分かっている部隊をいくつも動かした。
 理由はその都度作った。いまはまだシャムザには過去の栄光というボロ切れがまとわりついていて、王位継承者であるリークはまだ彼のことを信じてくれている。だがそれもそろそろ限界だろう、リークがいよいよシャムザの破綻に気づけば大陸一の軍師の成れの果ては刑場そばの河原に晒されることになる。それもいい。シャムザはそう思いながら土を噛む。もうだいぶ前からシャムザは壊れていて、修正点がどこにあるのかも分からない。膝を見ると食べ零しが散らばっていた。気づかれないように払い除ける。味がしない。刺激がない。何もかもが綿雲で覆われた針のようだ。痛いはずなのに、感じない。
 部屋に帰って、近隣諸侯の勢力図を広げる。内戦が始まってからその地図は一度も閉じられたことがない。シャムザは家具屋の男を誉めそやして作らせた樫の椅子に腰かけて、地図の前で頬杖を突いた。いつもなら十や二十の策は弄せる。だが手持ちの近衛騎士をあらかた潰してしまった今となっては、たとえ思いつけたとしても、シャムザの策を実行してくれる駒がいない。困ったものだ。
 最初に死んだのはカシアだった。シャムザが王属客員軍師として召抱えられる前からの付き合いだった。だが、あっけない、本当にくだらないシャムザの配陣失敗でカシアは三十人に取り囲まれて串刺しにされて死んだ。残ったのはメッタ刺しにされた首なし死体と、大陸中に蔓延したカシアの首代の噂だった。そんなものはいらなかった、裸にされたその亡骸を見た瞬間にシャムザはそれが親友の身体だと分かった。
 涙も出なかった。
 何も感じなかった。
 なんの感情も抱かず、シャムザは二千のどこの誰とも知らない他人の死体と一緒にカシアを焼いた。肉の焦げる甘ったるい匂いが最高に反吐が出た。貴族風に仕立てられた軍装に赤茶けた汚れがこびりついた。死体に怯えぬ、敗北にひるまぬ軍師を見た兵士たちの指揮が嫌気が差すほど揚がった。笑えた。どうでもよかった。そしてシャムザは味をしめた。
 誰かを死なせるのは、最高の娯楽だった。
 生存本能は摩滅した。カシアを死なせて戻った陣で、シャムザは死ぬことばかり考えていた。一も二もなく死にたかった。だが、たださくりと死ぬんじゃ面白味がない。もっと派手に逝きたかった。そうすればあの世で自分が殺したみんなが笑って迎えてくれるような気がした。だからシャムザは何食わぬ顔で采配を振るい続けた。誰かを死なせるために。こっそりと。

 次に死んだのはミレイア団長だった。女性ながらに騎士団を纏め上げた才媛で、シャムザと何度か食事をしたこともある。戦場では勇猛果敢、だが平時は温和で温厚で、気配りもでき男女の礼を失することもない。死なすには惜しい人材だった。だから最前線に配置した。その最後は見苦しかったと聞く。それでいいとシャムザは思う。人間誰しも最期は素顔のままで死ぬべきだ。
 さすがにミレイアを死なせたことは指揮官リークを激怒させた。執務室にシャムザを呼び出したリークは民草へ向ける好青年風の仮面を剥ぎ捨て、口汚くシャムザを罵った。リークは正しい。どう考えてもミレイアを死地へ追いやったのはシャムザだ。問題は、どれほど喚いてもミレイアは生き返ったりはしないし、そしてリークにはシャムザに代わる軍師のアテがない、ということだった。絶対に叱責はされても懲罰されないと分かっている怒号に意味はない。シャムザは薄笑いすら浮かべてリークの罵倒を聞き流した。そんな余裕も今では出来なくなった。リークはシャムザ一点張りの采配に危機感を覚えたらしく、小賢しくも新手の軍師を何人か雇い入れた。見落ちがするから今はまだ全指揮権がシャムザにあるが(なにせリークはまだ十五歳だ)、それも次に何かしでかせば今度はシャムザの首が晒されるだろう。だからこそ面白い。いよいよさらに燃え上がる。バレないように兵を次々と死なせていくことが。
 手袋に覆われたシャムザの黒い指先が、細心端の働きを見せ始めたのはこの時からだ。
 シャムザは自軍と敵軍の動きを完璧に読んだ。読み切って、未来すら見通した。そうでなければ、言い訳が立つほど巧妙に兵を死なせていくことなど出来ない。堆く積みあがった死体の山を前にしてシャムザは悲しそうにリーク王子に言う。

 ほかになにかやり方がありましたか。

 王子も、新手の軍師見習いどもも、黙って首を横に振る。やろうと思えば全員助けることもシャムザには出来たということなど考えもしない、壁を通り抜けられる幽霊や、足を噛んだら離さない魔法の靴があるなどと夢にも思わないのと同じようにして。そしてシャムザは思い浮かべる。自分が死なせた英雄たちの顔ぶれを。丁寧に切り取ったカードのように、哀愁の念を覚えながら二度と会えない戦士たちを悼む。うっすらと微笑みながら。
 カシアのせいか、といえば、違うとシャムザは答えるだろう。抑えていただけで、軍師見習いだった頃から、そうしてみたいという欲求は確かにシャムザの中にあった。それをなんとかなんとか、ごまかしながら生きてきたのだ。カシアの死はあくまで切っ掛け、風が吹いたというだけのことで、いずれ必ずシャムザはこの残酷な<ゲーム>に耽溺することになったろう。これは避けられない彼の生き方、彼の業、天から腑分けされた贈り物――目を逸らすことに意味はない。『それ』はそこにあるのだから。いつもそこで彼を見ている、背後から、頭上から、脳裏から、いつでも彼を監視し囁き続けている。
「満たせ」と。
「迷うな」と。
 だからシャムザはそうする。
 彼を信じた仲間たちを冷酷無比に死なせ続ける。
 死地こそ甘くやわこい楽園だ。何物にも、代え難い。

 蝋燭の火がもがくように揺れた。シャムザはそれを一瞥してから、机の引き出しにしまってある一冊の本を取り出した。古びたそれ、閉じ紐が擦り切れて消えてしまいそうなその本は題名がない。それもそのはず、それはシャムザの師匠の覚書だったから。だが、きっと恐らく二度は書かれることのない最高の兵書でもある。シャムザはそれを読み、覚え、噛み、咀嚼し、味わった。そうして自分の兵の型を作った。だが、その型は今ではもう血に塗れて穢れている。きっと師匠はシャムザを許さないだろう。破門などでは済まされない、首を引き千切られたって文句は言えない。そういうことをシャムザはやった。やり続けてきた。
 明日は何人殺せるか。
 そんな寂しい遊びを続けるシャムザに微笑んでくれる者はもうどこにもいない。
「せんせい……」
 隙間風に乗ってシャムザの呟きがどこかへ流れる。誰にも届かぬままにか細く儚く消えていく。
 シャムザが優しい死に飲み込まれるまで、まだまだ長い時間がかかることになりそうだ。