優しい闇を待ち焦がれ


 苦しいことがたくさんあった。でも、ほとんど思い出せない。だからいまは、幸せなのだと思う。
 目が覚めたら平和だった。そこではもうなんの争いもいさかいもなく、どこまでも幸せな大地が続いている。もう誰も争うことはなく、憎しみは生まれない。そういうふうに出来ている。だから俺ものんびりして、もう何も考えず、ゆっくりと生きていくのだ。努力とか、頑張るとか、そういうナンセンスはもう懲り懲り。そんなものなくたって、人はこうして穏やかに眠れるのだ。
 戦争が終わってから二十年。俺はこうして平和に暮らしている。それはもう完全な平和だったし、誰も苦しまなくてよい性質のものだった。誰もがのんびりと釣りや歌などして暮らし、夜になったら静かな安らぎが村を包む。月に一回の見張り番だけが少しだけつらいが、翌日はいつまでも寝てられる。だからそれほどつらくない。
 つらいのは孤独だ、と大尉は言った。俺もそうだと思う。みんなで焼夷弾で煙に巻かれて死ぬなんて、わあわあ言ってるうちに終わってしまう。孤独に死んでいくのは、ゆっくりと閉じていくハッチのように絶望的な重量だ。俺はそんなのは嫌だった。そんなものは見たくなかったし、欲しくなかったし、あってはいけないと思った。
 だから捨てた。
 ここは平和な王国だ。敵対者なんてどこにもない。冷たい論理も燃え尽きた。もう何も起こらないし、何も来ないし、どこへも誰も去ってはいかない。俺を置いてけぼりにしたりしないのだ。
 だから平和だ。そしてそれを求めて得るのが人生というものだ。そうならないのは、まがいものの人生で、あっちゃいけない。ラクに死なせてやったほうがいいたぐいの人生。俺は戦場で、そういうのを多く見てきた。もう疲れた。俺はもう、誰も死ぬのを見たくない。
 死は無為だ。なんの価値もないものを死と呼ぶのだ。生きていれば、いろいろある。死んだら終わりだ。なにもない。俺はそこになんの美しさも感じない。死なんてナンセンス、平和な恒久こそ主の御意志。違うかい。
 俺は疲れていた。休みが欲しかった。あの戦場で俺は死ぬほど闘い続けて、もう限界だ、と思った時、戦争が終わってこの村へやってきた。俺は癒されているし、満足だし、微笑みながら息を引き取るだろう。それはあの無為な死とは少しだけ違う。無為ではあっても、苦痛はない。そこに辿り着くまでが、人生という徒労の意義だ。
 この村の人たちはみんな俺に親切にしてくれる。誰も俺を迫害したりしない。誰もが誰をも愛していて、思いやりに溢れていて、とても静かだ。耳が痛くない。それが重要なことだ。耳が痛くないことが。
 苦痛や困難は何も生まない。試練や悲劇はナンセンスだ。平和が一番に決まっているし、闘争なんて時代遅れもいいところ。たとえ絶滅が待っていたとしても、生産性なんて必要ない。いまある分を、感謝して受け取る。それだけでいいんだ、人生なんて壊れたおもちゃの扱い方は。
 とても疲れている。俺はとても悲しんでいる。それを癒せるのは時間だけだ。時間こそ名医で、すべてを有耶無耶にしてくれる。記録や保存などナンセンス。いまに感謝する気持ちさえあれば文字などいらない。ここでは誰も日記などつけず、毎日が幸福だ。記すべきことはないけれど、過ごすべき楽しい時間は溢れてる。日没までのかけがえの無い時間を誰もが大切にしている。静かで止まった夜の時間、電気の通らぬ暖かい闇が毎晩俺たちを包んでる。それでいいんだ、人生は。
 もうすぐ日が落ちる。この静かな村でたったひとつの寂しいことは、夜が来ること。次の日までみんなに会えないこと。でもその待つということが、俺はとても好きだった。待っている間に、自分の本当の気持ちを確かめられるから。永遠の電気が走っていた頃は、なにも待ったりしなかった。待たなくたって呼んでもいない真実がニタニタ笑いで突っ込んできた。殺してやりたいくらい無遠慮で失礼きわまるあいつらが、いよいよ死んじまったのが、俺の人生最高の喜びだ。死は優しい、もうすぐ俺は何もかも忘れるだろう。思い出せないということが、明日への希望を繋ぐのだ。