何度も振り返れ





 バイクに見覚えがない。
 仕事中、よく自分のバイクのそばを通りかかる。だからなんとなく眺めて通り過ぎるんだけれども、それが自分のものという気がしない。だいたい昼頃に診察が終わって、隔離病棟から自分の事務棟に戻る時にそういう気分になることが多い。俺はバイクで通勤しているから、朝間違いなく乗ってきたはずだ。けれどもその実感が湧かない。近寄ってぺたぺたとシートやハンドルを触ってみるが、他人の持ち物に触るときの抵抗感はない代わりに自分の所有物だという直感が来ない。薄い雑誌の表紙を見ているような気がする。俺は狂ってきているのだろうか。仕事柄、死ぬ人間はよく見るし、霊柩車に乗ってお見送りされる方と接する回数も多い。だからいつか自分も死ぬのだと素人よりは理解しているような気になっていたが、単純にリアリティを喪失しているだけなのかもしれない。リアリティ? 俺は自分の持つ仕事のバインダーを見つめる。それを持っていたことも今、思い出した。見れば何が書いてあったか、必要な情報を確認できるが、視覚で認識するまではまったく思い出せない。午前中の自分の仕事の内容も思い出せない。俺は人が死ぬということをそんなに気にしていたんだろうか。それとも人の死一個一個にまるで興味がなくなってしまって、そうあれかしと願った狂気に犯されてしまったのか。人を切り刻むのに抵抗感を覚えていてはメスは握れない。助けるための血ならいくらでも流させればいい。理屈はわかっていても心は壊れていくのか。壊れた俺の心を誰が修繕してくれるんだ? バイクのハンドルを回してみるが、エンジンが吹き上がらない。キーを入れてないんだから当たり前だ。またがってみて、ぼんやりと中庭を眺めてみる。陽光が草地に降り注いでいて、穏やかな午後。まるで天国みたいな職場だ。俺は意味もなくアクセルを回し続ける。そのエンジンが起きていようと沈んでいようと、俺がどこかへいこうとここにいようと、何がどう違うっていうのだろう。俺はここで一生を終えるのだ。人を切って、自分を喰わせて、人を助けて、自分を潰して。バイクに乗っている時の俺、仕事中の俺、コーヒーを買っている時の俺、ベンチでスマホをいじっている時の俺、音楽を聞いている時の俺、ベッドの上にいる俺。すべて切り刻まれてバラバラになっている。相互関係があるとそれぞれに影響を及ぼすものだから、合理的な神経が魂をブロック分けしてくれた。バイクに乗っている時の俺がいなくなっても、仕事中の俺は維持できる。音楽を聞いている時の俺がいなくなっても、ベッドで雑誌を読むくらいなんてことない。どれかが壊れて、なにかで繋ぐ。そうやって自分を合成品にしていって、あっという間にフランケンシュタインの完成だ。怪物は自分が壊れているなんてわからない。だから俺は自分のバイクに「これは俺のだ」と思えなくなったことに二年も経ってから気がついた。もう戻れなくなってから振り返って、ずいぶん遠くへ来てしまったと困惑する。そんなに遠くへはいかないからと、いつも誰かが騙してくる。一歩踏み出したら、ダメゼッタイ。それが最後の一歩になるんだ。0か1か、死んでるか生きてるか。ちょうどいいところなんてない。半殺しなんて状態、俺は見たことない。どれほどずたずたになったって生きていれば生きているし、死んでいれば死んでいるんだ。でも俺は今、生きても死んでもいない気がする。ただゆっくりと時間が過ぎていって、昼飯を食う時間がなくなり、すぐに午後の仕事が始まる。俺はそれまでのモラトリアムを弄んでいるだけで、昼休憩が終われば正気に戻る。わかっている。そしてやっぱり何度振り返っても、自分のバイクに見覚えがないままなのだろう。俺が乗ってきたはずなのに。