ページヒット・リードハート

 シマはいつもへらへらしているから、たいていの人はやつのことをいい加減でちょっとバカだと思っている。

 しかしそれはパッと見た感じから来る印象にしか過ぎず、五シャンテンの手がツモ次第で見栄えのある手になるようにシマの本質はバカであることだけじゃない。
 バカであることは間違いないが、それがシマのすべてだと考えるのはちょっとやつが可哀想だし真実を見誤っているのでいつかシマに食い殺されてしまうこと必定だ。
 バカバカ言っているが俺はアダムとイブを尊敬するくらいの気持ちはシマに対して持っている。
 もしやつがエデンにいたら、知恵の実をもぎとったりせずに種だけどっかから採取してきてこっそり育ててリンゴ園を作ったに違いない。
 そういう種類のバカだからだ。

 ゴトンゴトンと列車が冬の線路をひた走っている。
 朝日を受けて、その胴体は鈍い光を反射していることだろう。
 シマと俺はガラガラの車両の中、ファミレスみたいなボックス席に向かい合って座って文庫本を読んでいた。

 シマは結構本を読む。

 冒頭バカバカ言っていたのも、意外と本を読むやつなんだぜということが言いたかったのだ。
 シマは雑食で、いろんな本を読むが、小難しい理屈を順序だてて書き連ねた本よりかは、人間味のある小説を好んで読んでいた。
 百年前の古典を大事そうに両手で掲げて読んでいたこともあるし、頬杖をついてライトノベルを読みながらケタケタ笑っていることもある。
 最近のお気に入りは秋山瑞人の『イリヤの空 UFOの夏』で、いまは『ドラゴンバスター』の二巻を俺と一緒にわくわくしながら待ち望んでいるが日本に帰る頃に果たして出ているかどうか。

 シマも俺も外国語を読めなかったから、本は通販で届けてもらう。
 旅行者専門の宅配業というものがあって、現在地と向こう一週間の行動予定を送っておくと追跡して品物を届けてくれるが、たまに『遅配通知』がメールでくる。
 そういうときはメッセンジャーが不幸にあったのかもしれず、俺はひどく悲しくなる。
 まァ山賊が出没する一帯をウロついているときにジョジョ注文した俺が悪いんだが。
 死んだと思っていたメッセンジャーがひょっこり数ヵ月後くらいに顔に新しい傷を作って現れたときはシマは大喜びしてそいつに酒を振舞って川に落ちた。
 シマでも風邪を引くらしい。
「くしゅん」
 女の子みたいなくしゃみをシマがする。
 ずず、と鼻水をすする音がして、見ると鼻の頭がぽっと赤くなって目尻には涙を浮かべている。
 乗馬用の編み上げブーツを脱ぎ散らかして、素足を抱えて毛布に包まっているが、それでも寒いらしい。
 かけていた赤いふちの眼鏡を外して、はぁーと息を吹きかけてからまたすちゃっとかける。
 本を読むときだけシマは眼鏡をかけるが度は入っていない。伊達眼鏡だ。
 旅が始まってすぐに上海あたりで買ったものでふざけてかけていたシマに「なんかそれ着けてると賢さが30くらい上がって見えるな」と言ってみたら愛用するようになった。扱いやすいやつである。
 冬の寒い日に文庫本に冷たい視線を注いでいる様などは、がんばれば文学少女に見えないこともなく、慣れ親しんだ友人の別の顔を垣間見たような気がして新鮮だった。

 俺たちのことをよく知っているやつらならば、そろそろ話がギャンブルに入る頃だろうなというなかなか鋭い読みを発揮しているかもしれないな。
 ご明察と言っておこう。
 シマはオセロやチェス、将棋や囲碁(まぁ俺は囲碁を打てないからできないが)をあまりやらない。嫌いではないそうだ。
 俺が思うに、おそらく偶発性に欠けている遊戯だからだろう。
 ギャンブルとゲームは非常に近しい親戚だが、同義ではない。
 だから、こうして向かい合ってシマが『ヴィークルエンド』(おととい届いた)、俺が『悪魔のミカタ』の七週目を読んでいるときなんかは狂おしいほどに暇なのだった。
 シマは膝の上に乗せた本を見ているくせに、俺が退屈し始めてそわそわするとすぐに、
「78」
 とか言ってくる。
 俺はぴたッと本を読むのをやめて、手元の文庫本を開いたままシマに見せる。
 白い紙の上では堂島コウが罵倒されている。シマは眼鏡のつるを押し上げてにやっと挑発的に笑った。
「いっただきぃ!」
「ふん」
 ポケットから小銭を取り出して、シマのブーツの中に投げ込んだ。
「あ、ちょっと! そんなとこ入れないでよ」とシマは毛布の眉からセーターに包まれた腕をにょきにょき伸ばした。
 ブーツをひっくり返して小銭を取ろうとするが、なぜか出てこないらしくぶんぶん振っている。
 一口いくらと決めていて、賭け方も一定のパターンしかないから慣れてくると考えなくても配当を投げれるようになる。
 列車の移動が多くなってから始めたこの遊びだが、結構退屈しのぎにはない。
 カジノで言うなら、ブラックジャックやバカラに全力心血を注ぐ傍らにキノを小さく賭けているようなもので、勝負というよりはツキやカンの測定に使っている。
 めくったページ数を当てるだけのゲームで、数えていればいいんじゃない? と思われるかもしれないが、ずっといちいちペラペラ音を頭に刻んでいると疲れるし努力に比べて配当は低いし、何ページか戻って読み直したりすることもあるので『ページカウント』はあまり有効な手段とはいえない。
 もっともシマは澄ました顔で小説を読みながら俺の読むページも数えているのかもしれない。抜け目のないやつだから。
 ちなみに50ページ以下は申告できず(カウントが容易なため)、もし俺が49ページを読んでいるのにシマが50を申告したらチョンボとなる。
 また、百ページ毎に配当が上がるので、京極夏彦の後方ページを当てられたときは一発でハコテンになった。
 しかしページ一発当てはあまりやらない。
 任意の5ページを申告して当てる競馬でいうところの複勝のような賭け方もあるし、ルーレットよろしく偶数奇数もある。
 ただ偶数奇数はマジで配当が悪い。
 ジュース一本買えるかどうかってレベルで、それで当ててもシマのSッ気たっぷりニヤニヤ笑いをぶつけられるのがオチで勝負に勝って気持ちで負けてる按配になってしまう。
 しかしそこでこんちきしょうと考えるのが天馬さんだ。
 決して昨日スリにあって今、我らが賭博ツアーご一行の資金が底をついていてジュース代一本も惜しいことをシマさんに言えてないわけじゃない。
 ついでに切符もないなんてことも、ないわけじゃない。
 曲がり角でパンをくわえたスラブ系美少女と正面衝突してニコニコしながら助け起こしてやったときにたぶんスラれたなんてことも、
 旅をしてりゃあ、あるもんなんだ。
 てへっ。





 日が暮れかけた頃、トイレにいく、といって、俺はトンネルじみた細長い通路を進み、食堂車に出た。
 といっても少し広めでカウンターとキッチンが片側にあるほかはファミレス風ボックス席が例によって並んでいる。
 俺は伸びをしながら、ボックス席に座ってサンドイッチを頼んだ。
 いまだに学ランを着ている俺は極北の人々にはどんな風に見えるのだろう。
 神父にでも間違われていたら面白い。ずいぶん罪深い神父もいたもんだ。
 サンドイッチをもぐもぐしながら、窓から列車の先を見やった。
 山に挟まれる形で進む列車の先に、暗いトンネルの闇が待ち受けている。
 その向こうにあるのは雪国か不思議の国か、どちらにせよこの俺がはぐれ者なのは間違いない。
 俺は読んでいた文庫本(『俺の妹がこんなに可愛いわけがない 六巻』)のカバーだけ外し、中身を隣の席で仏頂面していた金髪のお姉ちゃんにあげて食堂車を後にした。
 我らが黒猫の影が薄すぎて俺の怒りが天を突く勢いだったのは言うまでもない。
 俺は学ランのポケットに手を突っ込み、それを取り出した。



 ドサッと席に戻るとシマが顔を上げずに、長かったね、となにやら思惑ありそうなセリフを吐いたせいでどきっとしたが、あくびひとつ零してそれきり空想の世界に戻っていったので、一安心する。
 やつのカンが異常発達しているのは身に沁みている。
 シマはちらっと俺が取り出した文庫本を見やって、
「シスコン」
「ちげーし。俺は黒猫のファンなんだし」
「黒髪ロングだから?」
 完全にネズミをいたぶる猫の表情だった。実に楽しそうで羨ましい限りだ。
「黙っとけこの若白髪」
「むっ。なんだとぅこの×××××」
 あまりにもへこんだのでとてもここには書けない。
 一を言うと百になって返ってくるのでこの世は等価交換ではなく錬金術はガセネタなのだった。よりにもよって一番気にしてることを……。
 俺は気を取り直して文庫本に集中する――フリをした。

 ところでライトノベルを読んだことはあるだろうか。
 白地に女の子が表紙になってるやつだ。
 俺は中学に入るか入らないかぐらいのときに学校で施行された『朝の読書タイム法』のせいでこの道に入ることになったのだが、その魅力は挿絵にもあるといえよう。
 というか挿絵目的で買うやつも多いんじゃないだろうか。
 そしてライトノベルの挿絵は、本の上から見るとちょこっと黒ずんで見えるのだ。
 俺はちょうど、真ん中あたりの挿絵から少し進んだあたりを読んでいた。
「ストップ」
 シマがぴしっと人差し指で、文庫本を指し示した。
「182」
 またも一点張り。
 当てられたら払えないので、当然財布をスラれたこともバレ、切符がないことも露呈し俺は最悪列車から放り出されるかもしれない。
 あるいは切符代わりに売られるかも。いつぞやのように裸に剥かれては凍死しかねないので大変まずい。
 列車がトンネルに入り、フッと暗くなった。
 瞬間、腕を掴まれる。
「ヘンなことしちゃダメだかんね」
「ちっ」
 まァシマ相手にイカサマなどできようはずもない。
 こいつ以上に素早く動けるやつがいたらそいつは悪魔かスタンドだ。
 俺は大人しく文庫本を手渡した。
 ――シマは『俺妹』の挿絵があるページを覚えていたのだろう。
 三日ぐらい前に読み終わったとか言っていた。
 だからやつのカウントは挿絵のところから始めればよいのでハズレが少ないという種だったのだ。
 列車がトンネルを抜ける。袈裟切りにボックス席を引き裂いた夕日の線を受けて、シマの磁器のような肌が輝いている。
「これ」
「うん」
「『俺妹』じゃないじゃん……」
 策士策に溺れるとはまさにこのこと。
 文庫本の中身を入れ替えただけのチープなトリックだが、挿絵の位置が似ていたことと夕日の照り返しでシマが見誤ったのも無理のないこと。
 シマはぶすっと頬を膨らませて、悩ましげに「ああ……」とため息をつくと小銭を俺に放った。
 さすがに油断しすぎたと反省したのかもしれない。
 ざまァみやがれとケタケタ俺は笑い、シマはますます仏頂面になり、




 夕陽が沈んだ。

 旅はまだまだ終わらない。