『どろのなか』




 ちょっと前に市役所から、異臭騒ぎがあったので家屋の清掃をしてください、と言われたので俺は家の大掃除をしていた。
 そんな時、たまたま階段に貼ってあった一葉の写真が目についた。
 そこには高校のグラウンドでユニフォームを着た野球部の仲間やOBの先輩たち、それに顧問の金沢先生たちが写っていた。
 日付を見ればもう八年も昔の話。
 俺はその写真をピン留めから外して、しげしげと眺める。懐かしい顔ぶれ。もう何年も会っていない。
 野球をやっていた頃は、楽しかった。でもそれは、終わったから言えることで、実際に泥まみれになって走り回っていた時は、照り付ける太陽が沈んで消えるのを湿った意識の中で考えていただけだったけれども。
 俺が野球をやっていた、というと誰もが驚く。へぇ、お前が、と俺のなまっちろい手足を見て軽く笑う。
 べつにいい。
 俺も鏡を見る度にそう思うし、恩師の金沢先生もそうだったからだ。


 俺が野球部に入ったのは、高校一年の冬だった。
 体育の授業が終わって、みんなが教室へだらだらと帰っていくのを横目に見ながら、俺は金沢先生に言ったのだ。
 野球がやりたいです、と。
 金沢先生は子供の頃の失態を指摘されたような、恥ずかしげな顔をして言った。
 へぇ、お前が、と。
 まさか俺が最後までやるとは思わなかったのだろう。軽く手を振って、見学においで、とは言ってくれたが、俺が本当に行くまでは俺のことなんて少しも覚えちゃいなかったことだろう。べつに責めるつもりはない。俺が金沢先生でも、同じ態度を取ったかもしれない。
 当たり前の話だが、メシを喰うのも一苦労のこの俺が野球なんてできるはずがなかった。
 ピッチャーゴロも取れないし、ボールがミットに収まってからバットを振るし、なんとか打ち上げたと思って喜び勇んで必死に塁に走っても、しらけたショートがフライを取る乾いた音が響くだけだった。
 それでも、俺は野球がやりたかった。
 いまではもう、あの頃の気持ちは思い出せない。
 とてもじゃないが綺麗な気持ちから始めたことじゃないのは確かだ。カッコイイからとか、好きだからとか、そんな理由じゃなかった。
 いまから思い返しても野球なんて大嫌いだ。監督は偉そうだし、選手は辛そうだし、なんであんなことしなくちゃならないのか意味不明。ただ野球ばっかやってきただけの男がまるで自分がそこにいるのは当たり前みたいな顔でテレビに映っているのなんか見ると最悪だね。未来のために速く死ねって心の底から思うよ。


 俺が野球部に入ってイガグリ頭にした時、クラスのお調子者でNってやつがいたんだが、俺にこう言った。
 お前なんかができるわけねえじゃん。
 その通りだと思った。もちろん、あの頃の俺はいまに環をかけてバカだったから、言われたその日は身体がカーッとなって眠れなかった。悔しくて。殺してやろうと本気で思った。若かった。
 結果から言えば、俺はなんの成績も残さなかった。部員が全部で10人しかいない小さな野球部だったのに、一度も公式戦に出なかったからね。ほとんどマネージャーみたいな扱いだった。もっとも、バッティングピッチャーになれるような肩もコントロールもなかったから、練習だけは一応みんなと同じものをさせてもらえた。それだけはありがたかったと思う。
 今でも泣きながら口に混ざった泥を噛んだ記憶は忘れない。変な味がしたな。不味いし、最悪だし、ジャリジャリして気持ち悪いのに、妙な満足感があった。これでいいんだって真っ赤な夕陽を見ながら思った。俺は死にたかったのかもしれないな。ずっと投手の横顔を見てたのも、本当は投手になりたかったからだと思う。背番号なんていらない、レギュラーなんかじゃなくてもいい、コントロールも球威もいらない。
 ピッチャー返しを顔面に喰らって、マウンドの上で死にたかった。
 気が狂ってるというよりも、やっぱりあれは若さだ。頭がおかしくなるっていうのは今の俺みたいなことを指すんであって、死にたいって思うのは、やっぱり若くないとできない。
 死ぬなんてちょっとした御伽噺にしか、今の俺には思えなくなっちまった。それが幸か不幸かは知らないが。


 練習試合で、二度か三度か、代打に立たせてもらったこともあるけど、当然三振。負けが確定した最終回じゃないと、監督は決して俺のことを思い出さなかったから。それでいいんだ――って、洗剤の匂いがするユニフォーム着ながら思ったよ。だって野球って勝つためにやるんだろ? だから俺は野球が嫌いだったよ。勝ちたかったし、自分のチームが負けるのは気に喰わないし、べつに自分が試合に出れないからってスネてるわけじゃなかったが、たとえ俺が必要不可欠なチームのエースだったとしても、やっぱり勝ち負けってのはくそくらえだと思ったろうな。勝つってことは、誰かの負けを作るってことだ。そんなに楽しいことじゃない。
 俺は死にたくて野球をやったが、勝ちたくてやってるやつなんて気が知れない。
 勝ってどうする。それから、先は。
 でも、やっぱりこういうことをようやく言葉にできるようになったのは、引退して八年、ここ最近のことかもしれない。それまでは、ただなんとなくモヤモヤしてたよ。いろんなものがあの頃は混ざり合って、俺の心臓の側で渦を巻いていた。
 何が言いたいかっていうとさ、代打で出るかどうかもわからない練習試合に、家族なんかは呼べないなってこと。


 俺は、一度も、ただの一度も、人生で一番頑張ってる瞬間を家族に見てもらったことがない。
 格好いいところを見せられれば一番いい。ガキなんてそれだけで半分死んでる大人なんかよりよっぽどガッツを出せる。でも、泥まみれで格好悪いところだって見せた方がいいんだ。格好がつこうがつくまいが、どこにもいないよりよっぽどマシだ。
 現役の頃、俺は帰るとリビングで腕立て伏せをしてた。腹一杯にするともう動けないから、くたくたの泥まみれで、七時くらいに家に帰るんだな。そんでバッグおろして、跪くみたいにフローリングに膝ついて、息整えて、一、二、三。腕立て腹筋背筋を50-30-30で3セット。途中でちょっとえづいたりしてね。それを横目に見ながらお袋がテレビ見てる親父につまみを運んだりして。
 べつに責めるわけじゃないが、俺のお袋は掃除機なんて三年に一度くらいしかかけないし、その頃は俺も今みたいに主夫ごっこしてなかったから、フローリングの床のホコリが凄くてさ。脂汗流した俺の顎に、ふわって吸い付くんだ。ちょっとむせたりするとぶわあって白い煙が舞い上がったり。それでようやくサーキットが終わると安物のプロテイン飲んで風呂入ってあとはバタンキュー。眠れないと思ったことは一度もなかった。悪夢も見なかった。


 起きたら、まず野球。
 昨日の練習はどこがまずかったが、自分とほかのメンバーの何が違うのか、考えながらメシ喰って、学校いって、授業なんかろくすっぽ聞いてない。時計見ながらあと何分、あと何分で練習ができる。それしか考えてない。うたた寝してたら野球の夢見てびくって身体が動いたり。あれは運動部特有の、職業病みたいなもんで、俺のクラスじゃあっちこっちでイガグリ頭がビクンビクンしててちょっと面白かったね。
 あとになってお袋なんかは、好きだったから出来たんだろう、なんて俺に言うけど、俺から言わせればちゃんちゃらおかしい。
 本当にやりたいことなんて、好きになんてなれるわけがない。
 愛しているのかどうかもわからなくなって、一人じゃ解けない袋小路に行き詰って、いっそ殺してしまいたいと思うパートナーを「よっぽど好きなんだね」なんて言われたら、どんな女だって眩暈がするだろ? それと同じさ、俺の人生。


 好きっていうのは、都合がいいってことだ。
 自分をいい気持ちにさせてくれる、安心させてくれる。だから好き。ちゃんと連載してくれる漫画家が好き。困ったら電話すればいいサポートセンターが好き。
 でもそれは愛するということとは違う。
 何かに執着するのは、憎むのと同質のことだ。
 憎い、と思わなきゃ、愛しいなあ、なんて性質の悪い酒を飲んだみたいな気分にはならない。
 だから俺はよく簡単に何かを憎むけど、それは大事だ、大切だ、譲れないって気持ちがあるからなのかもしれない。だから、俺は自分の人生は大失敗で目も当てられないとは思っても、空っぽだったとは思わない。野球にせよ、ほかのことにせよ。どんなに恵まれていても俺より何も感じていない人間なんて、いっぱいいる。


 で、そんな俺も引退した。
 終わった時、残念だとは思わなかった。俺に芽がないのはわかってたから。ようやく終わったか、って気持ちの方が強かった。吐いたらやめようと自分で決めてて、何度も何度もえずいてグラウンドにぶちまけそうになったけど、最後まで吐かなかった。だからやめなかったのかもしれない。
 引退する時、顧問の先生は俺がそこにいることが不思議そうだったよ。お調子者のNにしろ、金沢先生にしろ、俺が存在している、し続けているっていうのは、御伽噺みたいなものに見えたのかもしれない。よくお化けを見るような目、って安っぽい小説で書かれているだろ。俺は、あの目を向けられたことがあるよ。
 たまに、昔はよかったなあ、なんて思い出すけど、そんなの茶番だって自分で思う。あの頃の俺は本当にしんどくて、死にかけてた。とても今の鈍った俺が真似できるような生き方じゃない。俺は使い物にはならなかったが、弱くはなかったんだと思う。それだけが、誇りと言えば誇りだし、未練と言えば未練なんだ。
 親にもね、俺なんかは生まれてきたのが間違いでさ、申し訳なかったって気持ちはあるんだけど、でも親からしたらやっぱり子供が一応は野球部出身ってのは、なんだかわけのわからないパソコン部出身とか、園芸部出身とかよりは誇りになりやすいものなのかね。俺がいま、この手に持ってるこの写真、俺が自分で壁に貼ったものじゃないんだ。お袋と親父がどっかから見つけてきたのかな、いつの間にか貼ってあってね、これが傑作でさ。
 この写真、俺が映ってないんだ。
 俺は高校一年の冬に野球部に入ったんだけど、OB会って普通は梅雨の時期にやるんだ。夏前に気合を入れていこう、みたいな感じでね。その時に写真を撮るのがうちに野球部の恒例行事みたいなもんなんだけど、この写真は俺が部室で拾ったもんでさ。誰かが落としてったんだな。二年と三年の梅雨には俺も撮ったんだけど、そっちの方は本当に紛失しちゃって。だからその代わりに、ってことで持って帰って来たのが、この写真なんだ。俺のいない6月の写真。
 べつにさ。
 べつに、責めたりとか、恨んだりとか、してないんだ。そんな権利は俺にはないしね。もうちっとまともに生まれてくればよかったんだけど、神様ってやつにセンスがちょっと足りなくて、俺まで何かが足りないまま出てきちゃった。お袋の腹の中に、俺はいったい何を置いてきたんだろうね。生まれ損ないなのは間違いないけど、手足が欠けてるわけじゃないから、何が足りないのか自分でもわかんないや。そこが俺の欠陥といえば欠陥だ。
 でもね、俺なら、俺が親だったら、見るよ。子供が頑張って取って来た、撮って来た写真だもんな。頑張って、泥まみれになった自分の子供がどんな顔してんのかなとか、仲間はどんなやつらだったのかなとか、見るし、聞くし、考えるよ。俺は子供を作れないけど、もし親になったら、絶対するよ。もし、そうすることさえ出来なくさせるのが都会の暮らしなんだっていうんなら、俺は愛知の田舎からこんな東京のど真ん中に引っ越してきたくなかった。
 お袋も親父も働きづめでさ、本当に、俺みたいな穀潰しはいない方がいいんだ。それはわかってる。
 それでも俺は……
「――孝治」
 目を開けると、部屋の扉を1センチだけ開けて、お袋が俺の部屋を覗いていた。
 時計を見ると夕方の五時。掃除をしていたはずだったのに、いつの間にか俺は十三時間も眠っていたらしい。
 妙にリアルな悪夢を見たせいで、びっしょりと汗をかいていた。俺は言った。
「――何?」
「ちょっと、出かけてくるから。ゴン太のトリミング」
 ゴン太というのは、うちで飼っている犬の名前だ。生まれつき難病を患い、毎月、獣医に委託して調合されたエサ代や海外から輸出された透析機にかかる治療費だけで四万二千円を吹っ飛ばす、我が家でいちばん尊い存在。俺はフケまみれの髪をかきむしった。ちなみに、トリミングは一万円きっかり。オプションもいっぱい。
「わかった。メシは――」
 作っておく、と言おうとしたら、隙間から覗く目玉が言った。
「サトウのごはんがあるから。チンして食べて」
「え? いや、作っとくよ。何がいい? 味噌汁でも、シチューでも」
「サトウのごはん、食べてね。チンすればいいから」
 俺はちょっと待ってから、言った。
「母さん、俺、自分で炊くよ。パックじゃお金かかるし――」
「できるよね? チン」
「母さん――」
「お母さん、ゴン太のトリミングいくからね。おかずは納豆があるから」
 ドアが閉まった。階段を下りていく音。俺はそれを聞きながら、ずぶぬれになったように重たい身体を布団の中から動かせないまま、天井を見上げた。