『友情大麻』






 大麻の密栽培、といえば大学生にありがちな犯罪である。
 なまじっか知恵と知識と時間が有り余っているために、あるいは刺激欲しさからかもしれず、大人になることを大人に奪われ続けたこの国の子供たちは二十歳を超えても過ちを犯し続ける。それはこの国が招いた災害であり、いわば国災とも言える。もう未来などどこにもないし、あっても大した価値はない。
 が、俺にとって大麻の密造は他の人たちが言うところの青臭い犯罪とは違った印象を受ける。それは一つの浪漫だ。べつにスリルを犯すことイコール人生、と言いたいわけじゃない。俺も三十五を過ぎたし、楽しくはないが仕事にもありついた。無茶ばかりしていた頃を懐かしくは思えども、戻りたいと本気で願える勇気はもうない。
 ガッツとかファイトとかブレイブとか、そういったものはKたちにくれてやるべきだと思う。

 Kたちと俺は同じ大学の学部生だった。大学といえば独りぼっちの代名詞だが、俺は運よく一年の頃からKたちとスムーズに知り合うことができ、不思議とウマが合った。むかつくな、と思ったら隣でKが「むかつく」と呟き、俺たちもそれに同意する。そんな関係、そんな友達だった。
 高校の頃の友達は一生の付き合い、とはよく言うが、俺にとって全人生を通しても、大学時代に出会ったKたち以上に大切な友達はいない。それは保障する、こんな俺の言葉でよければ。
 友達、という枠組みに甘ったれた願望を俺は抱かないように心掛けている。友達だからここまでは許されるべきだ、とか、友達だからこれぐらいのことはしてくれるべき、とか、そういうことを考えるのは相手にとても失礼だし、人間として成長する縁も見つけられない道筋だ。だがそれでも、あの頃のKたちが俺にしてくれたことは、ロマンチックな友情そのものだった。
 俺は大学三年の冬、睡眠障害を患った。
 こう言うと、社会に出てからの知り合いは「ああ、なんだただの睡眠不足か。体調管理くらいちゃんとしろよ」と薄っぺらな笑顔を浮かべて俺の肩を叩いてくる。しかし、俺が患った睡眠相後退障害は治療はできても治癒はできない、と医師に太鼓判を押されたくらいの病気だし、当時の俺は本気で苦しんでいた。あの頃のことは思い出そうとしても思い出せない。すっかり脳が悪夢を消そうとやっきになって、削りカスがいくつか残っているだけだ。
 覚えているのは、会う奴会う奴に心配されたこと。
 大丈夫か、と沈んだ顔で聞かれた時だけ、生きていると感じていた。
 原因はその頃やっていたアルバイトから朝番と遅番をわりに早いペースで交互に組んだシフトを渡されていたからなのだが、これには俺の元来の体質不全や、いいかっこしいでバイト仲間からのヘルプ依頼に全部応えて出勤したりしていたからで、要するにあの頃の俺は自分に出来ることと出来ないことの区別がついていなかった。とはいっても、自分に出来ないことをやらなければ、俺みたいな出来損ないは布団の中で股間に手をあてがうことぐらいしか出来ない。生きる、ということはあの頃の俺にとって無茶をすることと等しかった。自分を傷つけている間だけ、ほんのわずか光明が差すように生気を取り戻していたのだから、遠回しな自殺ごっこだったのだろう。
 俺は夕暮れと共に目覚め、夜明けと共に起きた。
 朝番の日はトイレに軽く胃液を出してから、二時間睡眠しかとってない身体でふらつきながら出勤した。世界がぐるぐる回っていたが、慣れてくるとその回転の中でもバランスを取って歩くことぐらいは出来るようになったから、人間というものはなかなか面白い作りをしていると他人事のように思った。
 当たり前だが、潰れた。
 バイト先で失神し、救急車で運ばれた。倒れた拍子に本の角に頭をぶつけたらしく、緊急入院した夜に店長から「これ、君が汚した本。弁償してね」と画像つきでメールが来た。欲しい本だったので喜んで買い、いまでも俺の本棚に記念として飾ってある。ある一点を超えた悲しみは、俺みたいな出来損ないには生きた証のように思われることが時々ある。これもまた病気なのかもしれない。
 医師には、病気のことを説明された。病気と言うよりは生活習慣病や活動障害に分類されるのかもしれないが、いずれにせよ医師には、
「自分で治そうとして治せないものを、病気と呼ぶんですよ。あなたは自分が病んでいることを自覚しなくっちゃいけない」
 とお説教を喰ってしまった。もう六十を超えた、何かの武術の師範のような風貌の医師だったが、不思議と俺は好感を持った。厳しい口調と態度を崩さなかったが、その奥に自信と経験に裏打ちされた悲しみがあるような気がした。俺の母は、真実というものをひどく嫌うから、ああいうストイックな人物に会うと例によって陰でひどく罵倒した。母にとって真実や工夫、努力や正論などというものは自分の生活観念を脅かす異物でしかない。俺の了解を取る前に、母は俺のバイト先に勝手に連絡し、俺を辞めさせてしまった。まァ、どの道、やめることにはなっていたと思うが。
 俺は入院した。しかし、入院もタダではないから、親父とお袋がこれまた俺の了解を得ずに俺を退院させてしまった。あの老医師は「君の親は何を考えているんだ。自宅療養でなんとか出来る家庭環境じゃないだろう」と言ってきたが、俺は曖昧に笑って首を振った。老医師はとても悲しそうな顔をした。
 俺の親の話はいい。
 Kたちは、俺が入院したと聞いて、駆けつけてくれた。来なくていいと言ったのだが、来た。
 Kは、椅子に座って、じっと病室の壁を見ていた。俺などいないかのように静かだった。が、やがて言った。
「悔しいな」
 何が、と俺は聞いた。
「わからねえ」
 Kは素直なやつだった。俺には勿体ない良いやつだった。だから、俺は何度か、Kから距離を置こうとしたこともある。俺なんかとつるんでいるより、Kにはもっと、一緒にいなければならないやつがいる気がしたから。俺なんか、遊びといったって、限られたものしか覚えて来なかったんだから、都合なんていつでも悪いのさ。
 俺は退院してから、大学を休学した。自宅で適切な睡眠を取り戻すしかないと思った。夜の十時に起きて、夜の一時に寝ようとする。当然眠れず、布団の中で五時間も六時間も身動きせずに横たわっている。天井はもう黒いもやにしか見えず、外からの音はなにもせず、まどろんだかと思うとビクリと身体が震えて覚醒する。そうして諦めて明け方に起き出し、真昼に眠って、また夜に目覚める。
 びっくりするほど何も出来なかった。人生があっという間に過ぎ去って行った。本当なら、普通に生きているやつらなら、いろいろと得たり作ったりする時間を、俺はただ横たわった。眠りさえしなかった。動かなかった。俺の肉体は生きていたが、人生は死んでいた。
 Kたちと会うことも少なくなった。俺はそれでいいと思った。日中に出歩いても、俺はトイレで吐くだけだし、迷惑はかけたくなかった。その頃の俺は、迷惑をかけないことが友情だと思っていた。いまは少しだけ違う風に考えている。
 ああ、死ぬんだな、と思った。何も面白くない人生だった。楽しい時は、稀に降る小雨のように度々あったけれど、それだけだ。溜めた雨水を沸騰させて飲もうとしても、小雨のそれではあっという間に水蒸気になってしまって、俺の唇を湿らすだけ。後には何も残らず、飲めない雨水のまま取っておいても、腐らせるしかない。
 死ぬなら死ぬでそれでもいい。葬式もいらない。ただ、速やかに死にたい。死には苦痛が伴う。それが不当な扱いだといつも思う。苦痛なき死があれば、いったいどれほどの人間が幸福になれるのだろう。死は存在する以上は責任を取るべきだ。俺たちに死が与えるものはいくばくもなく、奪っていくものしかない。それが卑怯だ。誠意を感じない。
 そんなことを考えながら真夜中にテレビをつけて、驚く。
 そこにはKたちが映っていたから。

 ドラッグが医療に転用される、という話はべつに珍しいことでもない。モルヒネなんかも鎮痛剤として使われるが、ドラッグの一種だったような気がする。まァ俺の知識なんて小説家かぶれの友達から聞き知ったことだけだから、いい加減だし、訂正もされずにほったらかしにされている。ただ、一つだけ確かなことがある。
 睡眠相後退障害に、大麻は効く。
 誤解しないでほしいが、俺はドラッグを勧めているわけじゃない。むしろ、健常者が薬を使うことは間違っていると思う。人間は本来、自分の肉体のホメオスタシスに身を委ねているべきで、それが破綻している人間だけが薬で失われた平静を取り戻すべきだ。だが、当時の破綻した俺に、大麻は喉から手が出るほど欲しかったのは事実だ。
 効くなら、欲しい。
 助けて、欲しい。
 俺はそう思った自分を否定しないし、服用が許可されてしかるべきだったとさえ思う。俺の苦痛を弾劾できるのは、俺の苦痛を排除できる存在だけだ。何も出来ない、というのは、存在しない、というのと同じだ。俺は存在していない奴の言葉は聞かない。そう身をもって家族に教育された。
 だから、俺はKたちは何の罪も犯していないと思う。
 あれが罪なら、くたばることが人生だ。
 テレビの中で、Kは泣きながら言った。
「俺たちが悪いっていうなら、誰か俺の友達を助けてやってくれよ。あいつ、本当に苦しんでいるんだよ。病院も医者も何やってんだよ。学校も社会も何やってんだよ。あんなに苦しんでるやつがいるのにほったらかして、ほったらかされて、ふざけんなよ。俺はほったらかしになんて出来なかった。逮捕するならしてくれよ。でもその前に、あいつを助けてやってくれよ。あんたたちには、あいつの悲鳴が聞こえないのか?」
 テレビのテロップには『大麻密造の大学生グループ、摘発』と赤い文字が記され、ツイッターと提携しているニュース番組では、何も知らないやつらが遊ぶ金欲しさの大学生と俺のために動くことを決意したKたちを混同して嘲笑するツイートが次々とポップアップしていた。誰も彼もが知りもしない誰かを罵倒した。俺は笑った。
 生き恥を晒しているのは、どっちだろうな。

 俺の睡眠障害は、五年かけて治った。思春期を過ぎると治癒する方向に向かうらしい。だが、誰にとってのどんな思春期がいつ始まっていつ終わるのか、それが社会的に都合のいい時期と位置にいつでも落ち着くか、そんなことはちょっと考えれば不可能だと誰にでもわかることだ。誰にでもわかることが、この世界にはわかってない。
 Kたちにはよく面会にいく。俺の近況を聞くと、Kたちは我がことのように喜んでくれる。それが時々、ちょっと不気味だ。恨んでくれてもいいのに。でもそれは、決してKが俺を恨んでいないという確信があるから思える、空想の道楽に過ぎないのだろう。
 後悔してないか、と俺はいつでも目で問う。そうするとKはいつも、小皺の刻まれ始めた目元を緩ませて返事をする。俺は目を伏せて、生きていることを痛みなくして感じる。