『汝、神を造るカ?』


 創作が宗教になって八十年。
 まァ読めていた事態ではある。
 元々、ゼロ年代に「小説家になろう」で、あれほど圧倒的に『死後の理想郷』を取り扱う作品が蔓延したにも関わらず、彼らが本質的に求めているものが『宗教』でなかったと気づかない方がおかしい。宗教なんて、有名どころを紐解けば、必ずそこには死後の安寧に関する記述がある。古典宗教は厨二病患者のデータソースであると同時に、本来は動物である人間が死や老いという現実から目を逸らすために考案された情報的モルヒネである。だから、創作物全般を、宗教化させていっそこの『神なき国、ニッポン』に取り込んでしまおう、というのは、実に現実的かつアクロバティックな法案だった。どんな失策が目立とうと、こればっかりは成功したと言えるだろう。
 小説家、漫画家、ボカロP、映画監督、そのあたりで一定の『信者』を獲得したと認定された原作者は、『御殿』を建てられてそこに『神主』として住むことになる。自分の創作物を本尊として奉るのは妙な気分がするものかと思われるかもしれないが、これがなかなか原作者からしても、なんというか、自然なのだ。元々、タンス職人のように決められた枠の中で創作をしないタイプというのは脳髄の奥にいる何者かから囁かれて、自分でもわけのわからぬうちに傑作をひりだすことが多いから、自分の作品だろうと神の気まぐれだろうと大した違いはないのである。再現性がないものを人は『奇跡』と呼ぶのだから。
 信者たちは、自分が「これぞ!」と思った作品の御殿にお参りにいって、お布施をする。しなくてもいい。ただ、御殿ではラノベの映像化された作品やコミカライズ、フィギュアなどが売っているし、そこでしか買えない限定グッズなどもあるため(最近、信者でありながら転売業を営む不届き者への懲罰が厳罰化されたりした)、信者であるなら、いけば金を落とさずにはいられないだろう。そうして、そこで落とされた金が神主である原作者の懐に入って、うまくいけば完結作品のアフターエピソードなどが追加出版されたりもする。信心深ければ救われる、ではないけれども、少なくとも原作者/神主を生かしておけばワンチャンでメリットがあるのだから、わりとみんなこの仕組みには寛容的だ。まァ、中には金だけもらって御殿暮らし、原作の続きなんて書きもしない神主もいたりするが、そういう奴はほとんど見限られる。が、中には『原作者の神主が生きているだけで幸せ』、と思ってもらえるような奴なんかもいたりして。ほとんどいないけど。
 ここまで金に関する話しかして来なかったので、えーとどこだっけ、欧米のフィンランド? かどこかから訪れた旅行者のあなたには、ちょっと汚い話に思えたかもしれない。けれどこれはまだ原理原則の段階で、この国、『神なき国、ニッポン』がなぜ世界で一番幸福な国と呼ばれることになったのか、それにこの『御殿システム』がどのように貢献したのかは、喋ってない。これから喋る。そう慌てなくても舞妓も芸者もフジヤマも逃げたりしねぇよ。
 で、だ。
 もちろん、いま俺が言ったように、御殿システムは原作者を神主として、作品を本尊として、維持していこう、そしてそれを自らの心の安寧、すなわち『宗教』にしよう、という試みだ。そして、既存の宗教なら、神主は、おそらく参拝者に神について尋ねられたら、少なくとも自分の意見くらいは言わねばならないだろう。創作宗教の神主もそうである。
 御殿通いのいいところは、何より、原作者とナマで会話できることだ。
 作品に関して気になったところ、わからなかったところ、そういったところとピンポイントで質問できる。しかも面談は個別制だから、ほかのガツガツ来る参拝者の動向を気にしたりとか、そういう集団面接みたいな技法はまったく不要。予約して、時が来れば、たっぷりと神主と作品について語り合える。これは信者からしたら望外の喜びなんだ。
 何より、原作者ってのは、読者よりも極めて多くの情報を持ってる。
 よく、原作者が作品のネタを忘れてたりして、読者が怒ったり笑ったりするが、あれは当然でね、原作者ってのはそれこそ四六時中、歯を磨いててもケツ拭いてても手持ちの作品のことについて考えてるわけだから、それだけ触れている情報が多いんだな。持っている作品の盤外の情報が圧倒的に多い。ボツネタだって数え上げればキリがないだろうしね。その中から取捨選択して、形にしたのが作品なんだから、それだけしか情報ソースを得ない読者と、それ以外のジャンク情報まで頭に一度ぶちこんだ原作者じゃ、その作品と触れる上でのスケールが違うんだ。なんだか専門的な話になったけれどもね。
 で、神主は信者との語り合いの時に、ポロっとそういう情報を漏らしたりするんだね。ここではああ書いてあるが、あの時主人公は実はこう考えてたんだよとか、ヒロインには実はこんな裏設定があったんだけど書くのやめたんだ、とか。俺なんかも裏設定について氏子さんにポロッと言ったりするとビックリしてもらえることが多いね。
 もちろん、そういった情報にも限りがあって、語り合いが終わった後、信者がその情報を他の奴にバラしちゃったりすると、興ざめだよね。だから、基本的に面談で話された作品/本尊に関する情報は他言無用。絶対タブー。これは、まァ、なんつーのかな、大仏の像とかだって写真撮影禁止じゃない? ああいう感じなわけよ。
 それで、信者さんは、「ひょっとしたらこの秘密を知っているのは俺だけかもしれない」と思いながら、御殿の山を降りていってくれるわけだ。幸せな気持ちでね。ちょっとこれはフィンランド人のあなたにだけ、こっそり打ち明けるんだが、中には結構、面談ごとに違う情報を落とす神主もいるね。そのほうがネタも尽きないだろうし、情報漏洩した時もそれが真なのか偽なのか、すぐに明らかにならないメリットもある。俺はあんまりやらないけどね。
 ん? 何、ニッポンはそんな創作物(フィクション)にばかりかまけていて、なぜ経済成長するんだ、って? まァ、それにも色々理由はあるよね。一つは社会福祉を完全に停止したこと。社会福祉っていうか、老人介護に関する福祉を完全に停止。70歳から75歳の間に、老人は施設に入れられて、ある日、眠っている間にガス室に入れられて処分される。可哀想だけど、老人とは貿易が出来ないからね。若者が老人の身体を洗ってあげても、老人は若者の身体を洗ってあげられないでしょう。経済基盤で見れば、そこに明らかなロスがあるんだね。それをカットすれば、そりゃあ余剰労働力が生まれるさ。新しい神主だって出てくる。
 この国は、それを宗教によって『是』とした国なんだ。この国で育った人間は、幸せな夢が死後も続く、と信じている。創作宗教ったってガチで信じてる奴はいるからね。「この作品は娯楽、この作品は本当に俺の宗教」みたいに分けてる奴もいるし。俺も死んだら、自分の作品よりは、『小説家になろう』畑のチートハーレムな理想郷へ転生できると信じてるよ。これはこれで俺の宗教だからね。誰にも否定できない。
 だから、みんな死を恐れてない。死は望ましいものなんだね。戦争にいって、死んだら英霊になって、処女とやりまくれる、そう思って闘って死んだ兵士の戦争で地盤が変わるほどの戦争痕が地球に刻まれたりするんだから、まァ、なんつーのかな。アリなんだよ、コレも。
 誰もが、自分の人生を仮初のモノだと思って生きている。死んだら、より取り見取りの未来の中から、自分の気に入ったところへ、飛び込んでいけると思っている。実際、いけるんじゃねーかな。戻ってきたやつ、いないわけだし。
 間違ってるって?
 でも、この国は創作物が宗教に昇華される前、年間三万人が自殺していた国なんだ。破綻していたんだね。だから、仮にこの国を、フィンランド人のあなたが間違っていると思っても、コレを昔のやり方に戻したところで、汚物を撒き散らす三万体の首吊り死体がまた出来上がるだけなんだ。それを誰が掃除する? 若者か、老人か、どっちにしたって、やりたかないでしょう、そんなこと。
 あなたが掃除するかい?







                 END
sage